住まい・インテリア

ネコや

あっつい。

スイカがおいしい。

ネコは、居心地のいい場所を見つけて

ゴロリと寝ている。

ネコが見つけた場所だから、

きっと気持ちがいいんだろう、

と思うけれど、

私にはとても入り込めないような場所で

ゴロンニャンしているから、

私はその寝姿を愛でて、

暑さを忘れている。

内田百閒も、

私と同じような気持ちになって

ノラやクルの寝姿を見ていたんだろうか、

と思うと、なんだか不思議だ。

百閒は、

自分のことを猫好きだと思う人がいるけれど、

自分が好きなのは、

ノラとクルなのであって、

自分は、何十匹も猫を飼う人の気持ちがわからない、

と書いている。

その気持ちもわかる。

もちろん、私は、

通りすがりの猫でも

「よ!」と声をかけないでもないが、

自分がいつくしんでいるのは

やっぱり、自分の家で暮らしているネコであり、

何十匹も飼う人の気は知れない。

近所の人が迷惑しているのに、

かわいそうだから、と

野良猫にエサやりしているひとの気もしれない。

ネコやネコや、と、

近頃は

私も内田百閒先生をまねて

呼んでいる。

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衣替え・所替え

いつまでも寒い!と思っていたのに、

このごろは、けっこう暑い。

きっと、もう寒さは戻らないんだろう。

というのも、

ネコの居場所が変わったからだ。

先日、ローソファーで気持ちよさげに寝ているところを

無理やり確保して、

病院に点滴に連れて行ったのを

怒ったわけではないのだろうが、

今はローソファーで寝ていない。

近頃は、私の部屋の迷路の奥、

処分しようと思っている本が放り込んである

段ボール箱の下、

本棚の前に入り込んでいる。

段ボール箱は、

中途半端に整理中のあれこれが入っている

インナーボックスが載せてあるワゴンと

使わなくなった椅子に

微妙に支えられている。

何かの拍子で、

箱が落ちたら、ネコの命が危ない coldsweats01

でも、ネコがいるってことは、

実はけっこう安全地帯ってことなのかな?

とはいえ、さすがに冬物ももうしまってもよさそうだし、

やっぱり、夏を迎える前に

お片づけをしなくてはいけない、

ということか。

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のれん

私の部屋のドアは開けっぱなし。

洗濯機回しながらとか、

煮物しながら

ちょっと自分の部屋で用事できるようにしてある、

と言うと聞こえはいいが、

それもあるけど、モノがありすぎて

ドアの前を占拠していて

ドアを閉められないというのも事実。

パソコンは入口のわきにあり、

パソコンの前に座っていると、

ちょうど夫の部屋の入口が見える。

だから、夫が半日出勤になり、

家にいる時間が長くなってみると、

いやでも、その動向をいちいち見てしまう。

別に特に気にしていなかったのだけれど、

この前、生協のチラシですてきなのれんの写真を見て

はたと気がついた。

私からすると、

見たくもないのに

いちいち夫の行動を見てしまっている、

というところだけど、

夫からすると、

私がいつも目を光らせている

という気がしているかもしれない。

というわけで、

注文したのれんが昨日届いた。

ちょうどいい、突っ張り棒はなかったのだけれど、

昨日は、画鋲で仮設置。

今日は、ホームセンターで

突っ張り棒を購入して

ちゃんと設置。

部屋の中は変わらないのに、

なんだか、落ち着いた気分。

こころなし、夫も喜んでいる印象。

やっぱり、監視されている気がしていたのかな。

のれん、一枚、微妙な仕切り、

きっちり隔てているわけではないけれど、

でも、心理的な境目ができる。

これって、いわゆる「日本文化」かしら?

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実家の階段

実家は、30年くらい前に、

平屋から二階屋に建て直した。

その後、一階部分で、

物をため込む余地を作るための増殖が行われたが、

基本構造は同じだ。

実家の階段は、しっかりした作りではあるけれど、

幅も段幅も狭くて、けっこう急。

私自身、

何年か前、正月に行った時、

下から4、5段のところで踏み外し、

階下まで、トントントンと

お尻で降りてしまったことがある。

その時、母は、

自分もだいぶ前だが、

数段、踏み外したことがあると

告白していた。

手すりはあるものの、

一人暮らしの母の生活で

一番気がかりな危険スポットである。

昨夜の電話で、

母が、なんとなく「大したことではないんだけど」

というニュアンスで

昨日の日中に階段のかなり高いところから落ち、

腹部を打った、という話をした。

落ちた直後はかなり痛かったらしいのだが、

その後、痛みも、まぁ収まり、

体を見てみても、

痣にもなっていない、と言う。

それで、湿布をして、

鎮痛剤を飲んで

今は平気、と言う。

私が、

「素人目になんともなくたって、

 お腹の中で何が起きているか

 わからないじゃない?」

と言っても、

「でも、大丈夫だと思うよ。

それに、明日は日曜だし。」

と、いかにも大ごとにしたくなさそう。

しかし、その「大丈夫」の根拠は

いったい、何?

とりあえず、一晩、何事もなく過ごしたようだ。

私より、ずっと近くに住んでいる妹も

実家に行って、

母と話をし、

まぁ、大丈夫なんじゃない?

という結論に達したらしい。

え~、~、~!

子どもが階段、二階から落ちたら、

とりあえず、病院行って診てもらうでしょう?

と言うのが、私の気持ちだけれど、

母と妹の2人そろって大ごとにしたくないんだから、

仕方ない。

こういう時、大丈夫?大丈夫?

と騒ぎ立ててしまうのは、

私がパニクりやすいってこと?

それとも、母も妹も、

大事なことを先延ばししたがるってこと?

どっちかわからないけれど、

どうやら、このことは、

私には変えられないこと、のクチのようなので

とりあえず静観。

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なぁんだ

実家の玄関の謎の隙間、

テープを張る前に

よぉく見てみる。

扉の建付けや

サイズに問題があるわけではない。

しかし、蝶番がずれているわけでもないのに、

扉の上部ではズレがないのに、

下部ではズレがある。

どうしてだろう、

と扉の下の隙間を見ていて

気がついた。

扉のストッパーが

入口のレンガに接していて

その分だけ扉の下が浮いている。

つまり、無理やりストッパーがついていた、

というわけ。

母にも見てもらい、

とりあえず、ストッパーをはずすことに。

ストッパーをつけたのは、

ずっとずっと前のことだから、

ストッパーをはずしてみても、

長い時間をかけて変形した扉は

すぐには元に戻らない。

私が、外から扉を押してみても、

まだ隙間は残っている。

というわけで、

とりあえず、隙間テープを貼る。

時間がたてば、

少しは扉も元の形に戻るかも、

という淡い期待をして、

作業終了。

ストッパーをつけたのは父である。

想像するに、

父は、扉を開けた状態で、

一生懸命ストッパーをつけたのだろう。

ちゃんと粘着テープとネジで止めてあった。

扉を止めるのにちょうどいい高さの調整をして、

仕事が終わって

扉を閉めた時、

父は自分の失敗に気がついたに違いない。

なぜなら、実家の玄関は

外とたたきで高さが違うから、

ストッパーの高さを調整するだけでなく、

高さ調整の部分の位置にも注意が必要なのだ。

金具が一重の部分が

玄関の入口に接していなければならないのに、

厚みがある部分が入口に接してしまった。

しかし、父はそれを直さず、

強引に閉めてしまった。

それとも、

ちょっと変だと思ったものの、

強引に閉めてしまったのか。

とにかく、わかってみれば、

なんてことないミスである。

ストッパーをつけなおすか、

別のストッパーを使えばよかったのだ。

ちょっとした強引さが、

扉に変形を強いた。

歪んだ私たちにぴったりのエピソード。

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あれこれリニューアル

この前、冷蔵庫がおかしくなって買い替え。

家人の部屋についていたのは、

20年以上も前のクーラーだったので、

エアコンに買い替え。

で、テレビの画面がときどき怪しいので

黒い画面の真中に横一線状態になる前に

えいや!と、地上デジタルのテレビにお買い換え、

家人は自室のテレビ (これも20年近い代物) の

リニューアルも主張、

小さめの地上デジタルテレビの購入、

それに伴い、録画機器も購入、

もちろん、アンテナも工事!

カード引き落とし後の通帳が怖い・・

でも、大手電器製品量販店の下請けの工事の人たちは

みな懇切丁寧で親切、

こちらの負担ができるだけ少なくなるよう工夫してくれ、

ありがたかった。

ついでに、痛風患者と膝疾患患者は

床に座る生活から

一度は捨てたテーブル生活に移行、

注文していたダイニングテーブルとソファ・カウチも

今日届いて

なんだか、引っ越ししたみたい。

家具を2人で見て

(私がリサーチした上での確認ではあったが)

購入を決めるなんて

久しくなかったことだ。

ちょっと、私の気分もリニューアル。

はたして、家人はいかに?

などと思ってみたりするが、

たぶん、家人にとっては、

デジタルテレビで観た『坂の上の雲』がきれいだった、

というのが、今日一番の感想だと思われる。

それにしても、『坂の上の雲』、

次回は来年の12月って、

見たければ、それまで生き延びろってことか。

年寄りにはきつい予告編だなぁ。

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実家のモノ

実家が、

成人した娘2人と両親が住めるように

家を改築したのは

もう30年前。

次の年には、私が結婚して出ていき、

その翌年には、妹も結婚して出て行った。

父と母は、小さな会社を経営していたのだが、

そのうち、それをたたんで

引退生活に入った。

その際、会社で使っていた

キャビネットとか机とか、

仕事上で使う道具のかなりを

処分せずに

実家に持ってきた。

それらのモノが

実家に置けてしまったことが

そもそもの間違いかもしれない。

中には、家でも使っていたものもあるが、

父がいなくなってはっきり不用品となった。

だが、それらは処分されずに今に至り、

業を煮やした妹の先導で、

可燃物、不燃物など仕分けして、

大物はちょっとずつ粗大ゴミに出している。

さらに驚いたことに、

私たちがいたころにはなかった納戸や物置が

増殖していて、

ティッシュもトイレットペーパーも、

スーパーの倉庫かと思うくらい買い込んである。

確かに、父も母も整理がうまい方ではなく、

私もしっかり「遺伝」しているのだが、

外にはみ出てはいないものの、

実家は、ある意味、「ゴミ屋敷」化している。

先日も、妹と整理をしていて、

機材の箱だけとか、

こんなもの、取っておいてもしょうがないのに、

というものが続々出てきた。

妹の表現を借りると、

「2人とも、いつのまにか壊れちゃったのかな。」

そうだよなぁ。

呆れる、を通り越している状態だよなぁ。

でも、たぶん、

仕事関係の諸々のモノが処分できなかったのは、

それが、

自分たちが頑張ってきた仕事の「形見」に

感じていたからなのかもしれない。

と思ってみても、

半端ではない量。

私と妹がいなくなった

「家族」の空白を

あのモノたちが埋めていたのだろうか。

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捨てられない

父と母は、以前、小さな会社を経営していた。

母は、倹約をモットーにお金をやりくりし、

私も妹も私立大学に行かせてもらった。

私なんか、浪人もしてしまったし。

2人が会社をしめたのは、

もう何年前だろうか。

そのとき、会社のあれこれを

全部実家に持ってきた。

そのうち、整理するつもりがあったのかなかったのか、

実家は、いらないものがたくさん置いてある。

それに業を煮やした妹が、

せめて玄関に置いてある机を片付けよう、

と言い出した。

というわけで、今日の実家行きは

妹と二人で片づけ。

ついでに、私はリビングのカーテンの洗濯も敢行。

リビングのカーテンは

天井の高さからあるので、

母がそのカーテンを脚立に上って外すことを考えたら、

ちょっと一人のときにはしてほしくない、

という気持ちになってしまったのだ。

去年の暮れ以来の洗濯になったカーテン、

やはり小ざっぱりして気持ちがいい。

玄関に置いてあった机は、

なんというか、迷宮。

今、持っていても使わないものが続々出てくるので、

妹と容赦なく捨てた。

それでも、まだ、モノが残ったのだが、

時間の制約もあるので、

今日は打ち切り。

母は、きれいになったと喜んでいる。

「パパは捨てられない人だったし、

 私もそんな感じだから」

妹は、年を取ると片づけられないから、

と考えているようだが、

それはちょっと違うようにも思う。

父も母も、モノを捨てられないのだ。

実は、私もその血を継いでいるから、わかる。

捨てるというのは、モノに対する執着のケリをつける、

ということ。

しかし、周りへの執着を感じることでしか、

自分の存在を確かめられない人間は、

モノを捨ててしまうのが怖い。

だから、取っておけば役に立つこともある、

とか、

捨ててしまうのはもったいない、

とか、

いろいろな理由をつけてモノを捨てない。

捨てようとしない。

捨てられない。

あぁ、それにしても、

本来、父や母が片づけるべきだった品々を

私たちが片づけてよかったんだろうか。

そりゃ、いくら待ったって、

死んでしまった父には片づけはできないし、

日々、年を取ることに面喰っている母にも

片づけはできなかろう。

放っておけば、母が亡くなってから、

私たちが片づけることになるのだろう。

そのとき、私たちも今より年を取っているから、

片づけをするのはしんどいに違いない。

しかし、それは、母のためにならんのではなかろうか。

とはいえ、年老いた母に、ゴミに依存するな、

なんて話をしても、通じるわけもないし・・・

何だか、妹の、共依存の片棒を

担がされたような気もする。

ん~、微妙にもたれあっている私たちだなぁ。

それにしても、

そんな依存関係はともかく、

私も、何とかしなくてはいけないぞ、

自分の家。

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