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拘る人

昨日、とある用件である人に会った。

子育てがひと段落して、

大学に正規の学生として入学して

いろいろ勉強している人。

履修科目に、「社会体験」というのがあり、

私が関わっているボランティア団体で

活動に参加したいという。

正直、20歳そこそこの学生ではないのだから、

自分にこの科目が必要かどうか、

たとえ必修でも、学校とかけあえばいいのに、

とも思うのだけれど、

その人は、そうはしたくないらしい。

それで、どうしても、

というのだけれど、

どうにも「自分のため」という部分が強すぎて、

さすがに警戒してしまう。

確かに、ボランティアというのは、

誰かのために、自分が役立てば、

と思って始めても、

そのこと自体が

結局は自分のためになっている、

という側面はある。

でも、やはり、スタートは

自分でできることがあれば、

それが役立つのであれば、

という気持ちだと思う。

自分が人の役に立てると思うこと自体が

ある意味傲慢かもしれない、

とも思ったりもするけれど、

自分は傲慢か?という問いを

ときどき自分に問いかけながらも、

結局少し行動する、というのが、

少なくとも、私たちの活動だ。

自分の単位のため、

自分のキャリア実現のため、

という話をするのは、

率直と言えば率直だけれど、

でも、それしか言えないのでは、

やはり、こちらも率直にいえば、

迷惑な話である。

自分の子どもを自分の思い通りに育てた、

と誇らしげに話している人の話を聞くのは、

正直、苦しかった。

思わず、あなたもアラノンが必要かも、

という気持ちになった。

とはいえ、あなたは強引過ぎて、

私たちの活動には全然向かない!

というわけにもいかないので、

半分、相手の意向を聞きつつ、

バリケードをしっかり張って話を終えた。

 自分は自分自身に生き、

 他の人は他の人自身に生かしめよ

というけれど、

自分自身が生きていくのと

他の人自身が生きていくのが

ときどきクロスして、

他の人がこちらの領分に無理やり入ってこようとする時、

どう対処すればいいのか、

悩ましく思う。

やっぱり、三十六計逃げるに如かず、かな。

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