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2009年12月

さらば、2009年

いろいろなことがあった2009年、

というか、

いろいろなことが明らかになった2009年。

娘に言われたからでもないけれど、

カリカリだけはしないで

暮れようとしている。

なんて、紅白も終わるころになって気がついた。

まだ、とりガラのダシ、

とっていなかった。

まぁ、まだまだ、落ち着きには程遠い、私である。

来る年には、

もう少し、平穏な心の持ち主でありたい。

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新聞のコラム

昨日の夕刊を読んでいたら、

『やさしい医学レポート』で、

『依存症症患者の心の癒やし』

というタイトルのコラムがあった。

読み始めて、びっくり。

「筆者はかつて多量飲酒者だったが、」

と始まる。

え?と思って、もう一度読み返す。

「筆者はかつて多量飲酒者だったが、」

やはり、間違いではない。

びっくりして、著者の名前を確認する。

東北大教授 坪野吉孝

 筆者はかつて多量飲酒者だったが、

 約十年前、

 苦しい状況で思わず祈りの言葉を口にしたとき、

 急に世界が明るく開けて感じる一種の神秘体験をし、

 以来アルコールを口にしていない。

もう一度、書き手の名前を確認する。

「東北大教授 坪野吉孝」

コラムは、自分の体験を理解するために読んだ

『依存症と恩寵』という本にも、

依存症者にまれに「特別な癒やし」が生じる、

ということが書いてあったという。

 神の愛が奇跡のように

 私たちを突き抜けることがある

と書いてあるらしい。

坪野氏は、

自分の飲酒癖が

精神科的に依存症の診断がつくものだったか

わからないものの、

自分の観に生じたことを理解したという。

家人にも、そんな癒しの瞬間が訪れることを

願わずにはいられなかった。

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ちきんはあと2

昨日書いたことは、少し中途半端だったかも。

ちきんはあとな家人に

でっかい存在を求めてしまった自分が

この状況の加担者だという自覚をした、

ということを書きたかったのだが、

ちょっと、不十分だったようなので、

今日補足。

さて、その「ちきんはあと」の家人が

退院したあとで、

仕事でお世話になった大先輩が

ご夫婦でお見舞いに来てくださったのだが、

それに対するお礼をずっとできずにいた。

家人は、仕事にめどがついたら、

その報告を兼ねてうかがうつもりだったらしいのだが、

そのめどがつくのが来年の春になってしまったので、

さすがに今年中にご挨拶を、

というので、

今日、二人でお宅に伺った。

大先輩ご夫婦は、

さすがに家人がアルコール依存症であるとは

思っていらっしゃらないから、

「お酒はいけませんよ。」とおっしゃりつつも、

家人の様子が前より元気そうだと喜んでくださる。

ちなみに、家人は、

お見舞いに来ていただいた頃のことは、

夢の中のようで

よく覚えていないらしい。

じゃぁ、脳が80歳、とか言われたこと、

覚えていないのか?

では、もう一度、医者に宣告してもらうか?

でも、そんなことしたら、

「ちきんはあと」は、止まってしまうかもしれないなぁ。

とはいえ、私も「ちきんはあと」、

家人に話があって、

家人の部屋のドアを開けた時、

はっきり手に焼酎のカップ持っているのが見えたら、

つい、きつい目で見てしまった。

実は、御用納めの後なのに、

私は仕事の打ち合わせが今日の午前にあり、

そこに「私が2度と一緒に仕事をしたくない人(2人)」のうちの一人が

来たのだ。

あらかじめ、もらっていた連絡の文面から、

ひょっとして、その人が来るかも、

とやな予感がしていたのだが、

ずばり当たってしまった。

向こうも、私のことが大嫌いらしいのだが、

私と遭遇することは予想していなかったらしく、

非常に不愉快そうな反応をしていた。

その人と一緒に仕事した人たち全員が

その人と一緒に仕事するのはいや、

とは思っている様子ではあるものの、

であるからか、

私の中に、どうも、相手を見下す気持ちがある。

と同時に、なにか、私の気持ちがざわつく。

たぶん、向こうのよろしくない面、

というのが、

実は、私のよろしくない面と

通じているからだと思う。

微妙なバランスで、

向こうは「問題あり」で、

私は、「問題あり」から逃れている。

そのことを改めて思い出したから、

私の「ちきんはあと」もやや不安定。

それで、結局、

「ふぅん。」という目で

家人の手元を見てしまったのかも。

なかなか、「飲酒に振り回されない」というのは

難しい。

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ちきんはあと

娘と話していて、ふと気がついた。

「ね?おとーさんて、気がちっちゃいの?」

「そうだよ。ちっちゃいんだよ。」

「え?チキンなの?」

「そうだよ。チキンだよ。」

「そうか、チキンハートなのか。」

「そうそう、かなりのチキンハート。」

そうかぁ。

そういえば、私は、どこかで

おっきくてあったかくて、

自分を包んでくれる存在を

いつも求めていたなぁ。

むかぁし、人に

「君は、あれこれ望みすぎる。

自分は、君の父親にはなれない。」

と言われたこともあった。

ごもっともな反応だったのだ。

そして、

家人はそう思わない/そう言えないということを

きっと私は無意識のうちに見抜いたんだろうなぁ、

と思う。

家人が、自分のアルコール依存症を支えるのに

無意識に私を選んだのと同じように。

私も、家人ご同様の

ちきんはあと chickheart かな。

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あれこれリニューアル

この前、冷蔵庫がおかしくなって買い替え。

家人の部屋についていたのは、

20年以上も前のクーラーだったので、

エアコンに買い替え。

で、テレビの画面がときどき怪しいので

黒い画面の真中に横一線状態になる前に

えいや!と、地上デジタルのテレビにお買い換え、

家人は自室のテレビ (これも20年近い代物) の

リニューアルも主張、

小さめの地上デジタルテレビの購入、

それに伴い、録画機器も購入、

もちろん、アンテナも工事!

カード引き落とし後の通帳が怖い・・

でも、大手電器製品量販店の下請けの工事の人たちは

みな懇切丁寧で親切、

こちらの負担ができるだけ少なくなるよう工夫してくれ、

ありがたかった。

ついでに、痛風患者と膝疾患患者は

床に座る生活から

一度は捨てたテーブル生活に移行、

注文していたダイニングテーブルとソファ・カウチも

今日届いて

なんだか、引っ越ししたみたい。

家具を2人で見て

(私がリサーチした上での確認ではあったが)

購入を決めるなんて

久しくなかったことだ。

ちょっと、私の気分もリニューアル。

はたして、家人はいかに?

などと思ってみたりするが、

たぶん、家人にとっては、

デジタルテレビで観た『坂の上の雲』がきれいだった、

というのが、今日一番の感想だと思われる。

それにしても、『坂の上の雲』、

次回は来年の12月って、

見たければ、それまで生き延びろってことか。

年寄りにはきつい予告編だなぁ。

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個体識別

知り合いが、年末に自宅で開くパーティ。

その人のうちつながりの人が

たくさん呼ばれるので、

会場では

知らない人の方が多い。

私の仲よしさんたちは

ご夫婦でお邪魔しているので

何回か、我が家も夫婦でお邪魔したが、

やっぱり、家人は「社交の場」は苦手で

ここ何年かは、私一人でお邪魔していた。

今年は、もちろん、私一人。

それで、久しぶりに会えた友人と話をしたり、

大笑いをしたりしていたが、

どうも彼女のご主人が

私が会釈をしても反応してくれない。

彼女たちが先に帰る時にも

なんだかよそよそしい反応。

おかしいなぁ、と思って、

私も帰宅してから、

携帯で、

「気のせいか、ご主人に個体識別されなかった気がする。」

とメールしたら、

「帰りの車の中で、『そういえばkurulimpaさんに会わなかった』

 と言っていた。」との返信。

ひょっとすると、これまでは、

ボリュームで識別されていたのかもしれない。

来年は、ちゃんとご挨拶して

個体識別してもらえるようにしよう。

もちろん、リバウンドに要注意、ではあるが。

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年末

娘に、年末はいつ帰るのか確認していたら、

「大掃除どのくらい済んでる?」と聞かれた。

カーテンは、一応洗ったし、

窓ふきもとりあえずすませたし、

冷蔵庫は、この前代替わりしたから

今のところは、「冷蔵庫拝見!」とか言われても

大丈夫だし、

換気扇も10月末に丁寧にしたから、

今はしなくてもいいかも。

そう報告すると、

娘が

「じゃあ、お母さん、今年はカリカリしないね。」

お父さんがお酒飲んでグゥーグゥー寝てて、

お母さんが

やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、

お父さんが何にもしないと

カリカリ怒っている大晦日が

とっても嫌だったんだそうである。

そういえば、そうでした。

早く言ってくれればいいのに。

言われるまで気がつかなかった。

そういえば、

インフルエンザに懸って、とにかく餅だけは確保、に努めた

一昨年を除き、

いつも悲惨な気持ちで除夜の鐘を聞いていた。

大掃除が間に合わない、

(普段からちゃんとしてないんだから、当たり前)

お節料理が間に合わない、

(そんなに食べるわけでもないのに、手作りにこだわる)

そして、なにより、

亭主が酒飲んで、何にもしない・・・

とりあえず、

新しい年が迎えられることを

単純に喜べば

もっとシンプルに暮らせたんだろうになぁ。

来年は、平安な気持ちで迎えよう。

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さよなら、サンタさん

アルコール依存症家族の勉強会の帰り道、

遠回りして、

久しぶりに、この辺で一番大きいホームセンターに寄り道した。

冷凍庫を処分して

台所にスペースができたので、

精米機を置く棚を探しに行ったのだ。

そういえば、今日は、クリスマスイブ。

昔は、サンタ母さん、がんばって

あれこれ見つくろいに

このホームセンターまで足を運んだっけ。

以前の我が家は、

娘だけでなく、

全員がサンタさんからプレゼントをもらえることになっていた。

もしくは、「もらえることにしていた」。

といっても、

もちろん、家人は、そういうお遊び心の全くない人だから、

結局は、母さんサンタが、

自分の分やネコの分まで、

家人の母が一緒に住んでいた時は、

おばあちゃんの分まで入手して

当日まで隠しておき、

夜中に配達していたわけである。

頑張って、ご馳走も準備したりしたけれど、

この時期、娘は体調を崩しやすく、

クリスマスに準備した夕食は

食べきれなかったり、

もどしてしまったりした。

今日、ホームセンターの駐車場を歩きながら、

なんで、私、あんなにムキになったんだろう、

と思った。

確かに、日本人がクリスマスで盛り上がる必要はないけれど、

でも、まだサンタを信じていた娘のために

家人が何かしてくれることはなかったのに、

なんで、私、頑張ったんだろう。

家人がサンタを引き受けてくれないのなら、

私がサンタをするしかない、

と思っていた。

娘が調子が悪くなったって、

家人は酒を飲んでいたのに

なんで、司馬遼太郎の本なんか

プレゼントしてたんだろう。

ふと、自分の子どものころのクリスマスは楽しかったのか、

思い起こしてみる。

プレゼントに本がもらえるのは、

うれしかった。

でも、私のうちのクリスマスは、

今にして思えば、ただ形だけだったのかもしれない。

クリスマスという名目で一家団欒していたにしては

思い出しても、なぜか、温かい気持ちになれない。

つまり、私の人生を通して

ずぅっと流れている感じの

微妙なさびしさが

ここでもしっかり背景にある。

どうも、自分は、

暖かい一家団欒のクリスマス、

というものにあこがれ、

というか、

自分はそういうクリスマスにしなくてはいけない、

と思っていて、

いろいろムキになってた気もする。

そして、娘は、私の無意味な頑張りというか、

「一家団欒」を押しつけてくるのに対して

NOと言えなくて、

体調を崩してしまったのかもしれない。

(今年も調子崩したというから、

 この時期が苦手なのかもしれないけど)

そういえば、もう一人(?)、

お母さんサンタの贈り物を素直に受け取らない輩がいた。

ネコである。

ちょっと奮発したトンネルなんかちっとも遊んでくれなかった。

猫じゃらしやネズミのおもちゃもいろいろ好みがうるさくて、

ネコ缶が一番確実なプレゼントだったなぁ。

ネコから見ても、

母さんサンタは気張りすぎだったんだろうか。

娘がこの時期、家にいなくなってから

我が家にサンタさんは来なくなった。

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『カールじいさんの空飛ぶ家』

「3D 字幕スーパー」にこだわったら、

また電車賃を払って観に行くことにした。

しかも、シネコンというのは、

この時期、すぐにスケジュールが替るから、

今日観に行くつもりで、昨日チェックしたら、

なんと昨日が「3D 字幕スーパー」版は最終日。

こんなとこなら、先週の『ジュリー&ジュリア』と

はしごしてくればよかったか?

懐がインフルエンザになりそうだ。

とはいえやっぱり観たいので、

アラノンの後、そのまま駅に向かって電車でGO!

3Dは初体験だったが、『アバター』の予告編がきれいで

びっくり。

もちろん、『カールじいさん~』も

映画館で観られてよかったと思える作品。

ストーリーの出発点には

カールとエリーの夫婦の物語があり、

先週の「ジュリー&ジュリア」に引き続き、

うらやましい限りである。

エリー亡き後、

家と+1人で冒険に出かけたカールじいさんは

エリーとの夢を果たせるのか?

冒険の途中で、

道連れになった連中との関わり合いや

思わぬ人物との出会い、など

3Dでなくても楽しめたかもしれないけれど、

さすがに大人としては、

3Dでもない日本語吹き替え版で観るのは

やっぱり残念だと思う。

エンディングロールがおしゃれで

最後まで観たくなるような作りで

すてきだった。

もっとも、父が映画関係の仕事をしていたから、

映画作りに関わった人たちへの敬意を表して

いつも、エンドロールが終わるまで観てはいるのだけれど。

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『現代東京奇譚』

『ひとり紅白歌合戦』をぶつ切りで楽しんでいる。

実は、ささやかな信条として、

一人で家にいる時、なるべくテレビをつけないようにしている。

これ以上、バカになっても困るから。

昔、「一億総白痴化」という言葉があったけれど、

一人でいる時間に

テレビを見ないまでも、

音楽を聞いたりラジオを聞いたりしている自分たちは

少なくとも、昔の人より孤独に弱いのかもしれない。

だから、やっぱりテレビをつけてしまう。

とはいえ、テレビはつまらない番組ばかり、

かといって、映画のDVDはじっくり観たい。

ラジオやCDは車の中で聞いているから

家の中でスイッチを入れるのがめんどくさい。

土曜の夜に、晩ご飯の後片付けをしながら、

ふと、『ひとり紅白歌合戦』DVDが

ビデオデッキに入れっぱなしになっているのを思い出した。

それで、続きを見ながら/聞きながら後片付けをしたら

非常に心地よい。

桑田佳祐の『ロビンソン』は

スピッツのとは違う趣だけど、

これはこれでいいなぁ、

など楽しみながら仕事ができる。

昨日の晩も、DVDの続きを流しながら片づけをしていて、

ふと画面を見たら、

舞台の奥のスクリーンに見たことがある月の映像が出た。

映画『闇の子どもたち』

あ、と思ったら、

映画の主題曲だった『現代東京奇譚』の演奏が始まった。

『ひとり紅白歌合戦』で

唯一、桑田佳祐本人の歌。

う~~ん。

桑田さんの歌う、昭和の曲もすごくいい。

しかし、本人の楽曲は、やはり全然違う。

手を止めて、聞き入ってしまった。

あげく、今日も一日、

頭の中で桑田さんの歌声が回っていた。

毎日、ちょっとずつのDVDというお楽しみは、

ささやかな幸せの発見。

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贈り物

親しい人への贈り物を選ぶのが楽しい季節、

のはずである。

しかし、今の私は、

なんだか、プレゼントを選ぶのが怖い。

去年の、家人の還暦のお祝いには、

『コンバット』のDVDを贈った。

暮れの休み、彼は、毎日、

『コンバット』を観ながら

焼酎を飲み、

いつの間にか、テレビの前で寝てしまう、

という日々が続いていた。

そして、離脱症状と転倒をきっかけにした入院騒動。

その後、『コンバット』は箱に入ったままである。

今年の三月、とりあえず、家人は定年退職。

その記念に、とショルダーバッグを贈った。

仕事に行くのに使っていたショルダーバッグは

実際に持っていくモノを考えると半端に大きく、

かといって、

仕事以外で使っているウエストポーチも

汗拭き用のハンドタオルを詰め込むから、

パンパン。

私なりに、あれこれ考えて

仕事にもちょっとしたお出かけにも使えるバッグを

選んだつもりだった。

しかし、家人の側からすると、

これは、まったく、私の趣味の押し付けに過ぎなかったようだ。

自分の望むものと全く違う、

といって、

結局、使わないと宣言された。

退院後、自然な会話ができず、

事前のリサーチが甘かったのは確かだから、

「自分の希望を全く斟酌していない。」

と言われればそれまでである。

しかし、私なりに、

家人の行動パタンや、普段の持ち物などを考えて

充分機能的、と思って選んだものを拒絶されたのは

心に鈍い痛みを覚えた。

それで、すっかり

プレゼントを選ぶのに臆病になってしまっている。

本人ではないのに、

本人の希望をあれこれ憶測して

喜んでもらおう、なんてことが

恐ろしく大変なことに思える。

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ドクンドクン

昨日、ちょっと緊張する場面があった。

いやな緊張ではなく、

緊張することで、集中力が高まって当然の場面だったのだが、

そのとき、自分の心臓が

少し、ドクンドクン、といっているのがわかった。

特に脈拍が速いわけではないのだが、

心臓が「ここにあるぞ!」と

主張しているような、ドクンドクン。

今まで、緊張して当然の場面で、

頭が真っ白になったり、

しどろもどろになったり、

ということにならずに来た自分。

何カ月か前の、心臓の検査では、

脈拍がゆっくり目だと判明した自分。

でも、昨日は、心臓がいつもより強く鼓動しているのを

感じることができた。

今のところ、自分の感情とうまく付き合えない私は、

たぶん、

自分の体ともうまく付き合えないのだろう、と思う。

頭だけで、何事も仕切るのでなく、

感情や体とバランスをとれるようになることが

今の自分にとっての課題なんだろうと思う。

感情と体、

どちらも自分がないがしろにしてきてしまったから、

うまく付き合おうとしても、

実のところ、どうしたらいいか、

よくわからない。

でも、昨日のことを考えると、

ひょっとしたら、とりあえず、

体の方が観察しやすいのかもしれない。

というわけで、

しばらく、自分の体の状態に

きちんと注意を払っていこう、と思う。

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まいにち

毎日がそこそこに忙しく、

肩がパリパリに痛いけれど、

一日に、一日に、

それなりの新しい発見や出会いがある。

なんというか、ありがたいことである。

と、思う今日この頃。

今日は、もう眠いから、これにて更新。

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『昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦』

昨夜は、家人が出張から帰ってくるのを

迎えに行かなければならないのに、

具体的に何時になるのかがわからなかった。

晩ご飯を食べても、連絡がないが、

本を読むにはやや疲れていたし、

テレビはさっぱり面白くないし、

とっておいた『CSI』は観てしまったし、

さりとて、まだ観ていない

メリル・ストリープの作品を観始めて

家人からの呼び出しを喰うのもつまらないし、

・・・

というわけで、

買ってからずっと見ずにいた

桑田佳祐の『昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦』を

見始める。

最初の『サン・トワ・マミー』や『青い山脈』は

私の中の越路吹雪や藤山一郎の印象が強くて

桑田流がいまひとつ

楽しめなかったのだが、

GSモノあたりから

だんだん楽しめるようになった。

『ルビーの指輪』なんて、

やっぱりカッコイイ曲だよなぁ、とか思う。

最近の寺尾聡は

ますます宇野重吉化していると思うけど、

逆に、宇野重吉が

『ルビーの指輪』を歌っているのを想像してみようとすると

それは無理。

『さらば恋人』や『長崎は今日も雨だった』は

かなり歌いこんでいるんだなぁ、

と思わせる。

桑田佳祐とは同世代、

という意識があるからか、

桑田佳祐を通して再現される昭和の歌は、

懐メロ番組で歌われる昭和の歌より、

私の中に沈んでいる記憶が

呼び覚まされるような気がする。

あんまり見ていると、

現実の生活に戻れない気がしてきたので、

加山雄三の『君といつまでも』でいったん停止。

それにしても、

この企画そのものもおチャラけているし、

随所におチャラけモードがあるのにも関わらず、

DVDで観ていると、

おチャラければおチャラけるほど、

桑田佳祐の歌に対するストイックさが際立つような気がした。

続きは、またそのうち見ようっと。

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『ジュリー&ジュリア』

レディスデーの料金より高い電車賃を払って、

『ジュリー & ジュリア』を観てきた。

家人が出張に出かけたので、

水曜の夕方の鑑賞。

ネットで、スクリーンのどまん前の席を取り、

タリーズで買ってきたカフェアメリカーノを飲みながら、

10分もある予告編やら

映画鑑賞の際のお行儀についての説教を見ていたら、

いよいよメリルに会えるんだ、という気持ちになる。

Sony picturesの画面になり、

Colombia映画のオープニングロゴが出てきたら、

何だか、ドキドキしてきた。

こんなに、待ち焦がれて

映画のオープニング待つのは生まれて初めてである。

映画は、予告編が示唆していたものとは

やはり、少し違ったけれど、

電車賃払って観に行ったことに後悔はない作品だった。

台詞には一つも出てこない、

しかし、メリルが痛いほどの表情で伝える

ジュリア・チャイルドの心情、

(それが何かはここでは書かないが)

それに寄り添う夫のポールの優しさ、

本当に素敵な夫婦だ。

エミー・アダムスが演じるジュリー・パウエルと

その夫エリックの夫婦もいいけれど、

2人が飼っているネコもかわいかった。

ジュリーの友だちのひとりで

一緒にポーチ度エッグ作りに苦心したのは

『サンシャイン・クリーニング』で

エミリー・ブラントとからんだ

メアリー・リン・ライスカブという人で

この人もけっこうおもしろい。

私はよく知らないのだが、

ドラマの『24』で重要な役どころをしている人らしい。

スクリーンには出てこないが

ジュリーのお母さんも

ジュリーにとって大切な存在。

なんにせよ、

互いに信頼し合った素敵な夫婦の姿が

かなりうらやましかった。

そう、

ああいう夫婦に私はなりたかったのだ。

まだ、なれる可能性は残っているのだろうか。

私は、ジュリア・チャイルドではないし、

夫は、ポール・チャイルドでないから、

夫婦の形が違うのは

当然ではあるけれど、

でも、ああいう信頼関係が築ければいいのに・・・

どこかのプログに、この映画は観終わると、

とてもお腹がすくから、

おいしいレストランを予約してから観に行くといい、

とあった。

でも、私の場合は、自分のキッチンに立ちたくなった。

夜の9時過ぎに、イワシの開きをオリーブオイルで

チーズ焼きにしたのを食べたら、

ちょっと食欲に歯止めが利かなくなって、

今日の朝食用にとっておいた

おいしいパンまで食べてしまった。

危ない、危ない。

いい映画でも、夕方観ると、

ちょっと気持ちのバランス崩すかも。

でも、とにかく、

『マンマ・ミーア!』とは違った形ではあるけれど、

前向きな気持ちにさせられる映画であったのは

間違いなし!

メリル・ストリープの演じるジュリア・チャイルドの笑顔、

最高!

ちなみに、メリルは、

Julie & Julia と It's Complicatedの2作品で

ゴールデングローブ 主演女優賞にノミネートされたらしい。

Bravo! heart

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ため込む

13年間使っていた冷蔵庫、

なぜか中の棚に水がたまり、

それが凍るようになってきた。

エコポイントももらえるし、

というわけで

新しい冷蔵庫を購入することにした。

今度の冷蔵庫は

野菜室が独立しておらず

冷蔵室と一体になっているタイプ。

冷凍室が下なので、

冷蔵室も野菜スペースも見渡せる。

これで、「野菜の遭難」が減りそうである。

古い冷蔵庫はもちろん

持って行ってもらう。

ついでに、「冷凍庫」も持って行ってもらう。

そう、我が家には、300Lの冷蔵庫のほかに

94Lの冷凍庫もあったのだ。

20年前の(我が家の初代)冷蔵庫の冷凍庫は小さく、

生協に加入して

冷凍の食材を購入すると

何だか、冷凍庫に入りきらないようで

私はとても不安だったのだ。

今から思えば、

3人家族なのだから、

冷凍庫に入る分量の範囲で

やりくりすればよかったのに、

そうは考えず、安心して冷凍品を買えるように

冷凍庫を買ってしまったのだった。

収納スペースが必要以上に大きいとどうなるか?

安心して、どんどん買う。

「2個だとお得」なんて書いてあると、

とっておけばいいんだもの、と

2個買ってしまう。

つまり、必要以上にため込むのである。

今回、冷凍庫も処分するというので、

生協の購入ではずいぶん冷凍品は控えて、

冷蔵庫が届く前日、

発掘された「化石」をずいぶん処分した。

しかし、新しい冷蔵庫の冷凍庫は満杯となった。

肝臓にいいからって、

1ヶ月は毎日しじみ汁が飲めそうなほどの

しじみが大量にあったのには、

つくづく呆れた。

さらに、もう一つ明らかになったのは、

使い切っていない冷凍食品がしこたま残っている、

ということだった。

毎日、毎日、「ご飯どうしよう?」と思っていたが、

こんなに使いかけがあるのなら、

さっさと使ってしまえばよかったのに。

さて、母に似たとも思える

モノをため込む、この悪しき習慣、

冷蔵庫を替えたことで、

改まるのであろうか。

(改めたい・・)

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歴女

今日は、ちょっと遅くなったが、

先日のバザーの反省会と

パンが食べ放題のレストランで

ランチの打ち上げ。

その席で、

今まで、ものすごくまじめだと思っていた人が、

まじめはまじめなのだが、

ものすごくおもしろいことが発覚。

私が、『ジュリー&ジュリア』を見るのが楽しみ、

と言い出して、映画の話から、

彼女が韓流モノが大好きでくわしい、

という話になる。

今は、上の息子さんが浪人中なので、

お金はそちらに使っているが、

状況が許せば、韓国旅行を計画しているとのこと。

それが、第一弾から第三弾まで計画しているという。

まず、最初は、ソウルを中心にした

韓流ドラマにちなんだ場所を訪ねる旅。

第二弾は、別の地域の

韓流ドラマめぐり。

そして、第三弾は、

韓国の歴史に関係する旅で、

白村江の戦いのあととか、

見に行く、という。

彼女、歴史が大好きなんだそうである。

それで、韓国の次は、

イタリアに行きたいのだそうだ。

カエサルが大好きだからだそうだ。

いやぁ、確かに、

筋金入りの歴女かも。

イタリアは、すでにローマもミラノも行っているが、

ベネチアにだけ行っていないので、

彼女としては、イタリアに行っていない、

という感覚らしい。

そのあとは、シルクロードに行きたいという。

といっても、

シルクロードも、トルファンとウルムチには、

新婚旅行で行ったのだそうだ。

ご主人は、歴史に関心もないけれど、

旅行先はどこでもよかったらしく、

10人くらいのグループで、

トルファンではウイグルの人たちの踊りとか

見てきたらしい。

別の人が、壁崩壊前の西ベルリンに住んでいたと知ると、

ヒットラーが自殺したといわれる場所に行ったかとか、

ほんとうに、歴史関連の質問が

後から後から出てくる。

バザーの準備のときのきめ細かい発言などから、

わたしはてっきり、

主婦として、ものすごくきっちりやるタイプの人なのかと

思い込んでいた。

でも、それは、

その人の一面をちらりと見ていただけだったようだ。

自分の興味のあることは、

きちんと調べ上げ、

自分の夢の実現のためには、

具体的にちゃんと計画を立てて、

それを実行して行ける人のようだ。

想像の世界で大きく羽ばたいていても

足はしっかり現実についている、

という感じ。

私とは、全然違うなぁ。

そういえば、映画の話の中で、

『ぐるりのこと。』についても話が出てきたのだが、

彼女は、あまりいい感想を持たなかった様子。

ん~、それが、健全というものかも。

ママチャリに乗って、元気に帰る彼女の後姿を見ながら、

彼女がアル症に巻き込まれることはないんだろうなぁ、

としみじみ思ったのであった。

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恋するベーカリー

メリル・ストリープの『It's Complicated』、

ニューヨークでプレミア公開があったようで、

クリスマスの公開前に、

メリルファンのサイトは

新しい映画関連の話題満載。

日本では、やっと『ジュリー&ジュリア』が公開されたけど、

アメリカでは、DVDが出た様子。

先日、ユニバーサル映画の供給元の東宝東和に、

『It's Complicated』の日本での公開の有無を

メールで問い合わせたものの、

梨のつぶてなので、

中年女性の三角関係の話は、

日本では受けないと判断されたのかなぁ、

と思っていた。

今日、もう一度、東宝東和のサイトを見たら、

あった!

来年の二月公開、

邦題は『恋するベーカリー』。

ま、確かに、メリルの役は、

パン屋として成功している女性ではあるが、

なんだか、ずいぶんイメージが違う。

そういえば、『恋するマドリ』なんて名前の映画が

あったような・・

違うのは、タイトルだけではない。

アメリカの予告編では見たことのない写真が

日本のこの映画の紹介のサイトに載っている。

アメリカのポスターは、

困惑した表情のメリル・ストリープと

満足げな寝顔のアレックス・ボールドウィンが

ベッドの中にいる、

というものなのだが、

そんなシーンは、予告編にもちらりとも出てこない。

元旦那のアレックス・ボールドウィンが

元妻のメリルと建築家スティーブ・マーティンが

談笑している様子を盗み見たりするところとか、

ちょっと危ない感じの要素が

すっかり抜き取られている!

なぜに、こんな「健全風」になってしまっているんだ?

その方が、日本人受けする、という判断なのか?

いや、それは、ちょっと違う気がするが、

なんにしても、

日本でも見られるとわかって、

うれしい限りである。

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『大いなる陰謀』

重い、映画だったけれど、

気になった場面をもう一度見ようとして、

結局、通してもう一度観てしまった。

最後の方で、

メリル演じるジャニーンが

タクシーの窓からホワイトハウスなどを観て、

涙ぐむシーンがある。

最初に見たときは、

ホワイトハウスを観て、

アーヴィング上院議員に対する敗北感から

涙ぐんでいるのかと思った。

なにしろ、彼女は、

アーヴィング上院議員が彼女に提供してきた情報が

ホワイトハウス入りを狙う議員の

マスコミに仕掛ける陰謀だと気がついているから、

議員におめおめと利用されはしない、

自分はその件について記事を書くようなことしない!

と言っていたのだ。

しかし、せりふや、場面で明示はされないものの、

臨時ニュースでその話が流れているシーンがあるわけだから、

結局、自説を曲げて、

記事を書いたということが示唆されている。

映画の前半では、

記者と議員は、丁々発止の言葉の応酬を行っていたのに、

現実の苦みを表す場面では

起こった結果だけが映し出されている。

だから、彼女が涙ぐんだのは、

敗北感からだと、私は思ったのだ。

でも、もう一度観ていて、

ホワイトハウス以外の窓の外の風景にも

何か意味があるような気がしてきた。

ただ、残念なことに、

私には、すぐに何だかはわからない。

たぶん、アメリカ人なら、

その景色を見れば、すぐにわかるんだろうと思う。

整然と石が並んでいる。

どうも、墓石のような気がする。

あれ?

アーリントン墓地、というところかしら?

アーリントン墓地、

テレビのニュースで、

訪米した日本の要人が訪問しました、

と何度か聞いた覚えはあるけれど、

それほど具体的なイメージはないし、

塀の外からのアングルの墓地の写真は見たことがない。

でも、私たちが、

どのアングルから映されても

東京タワーは東京タワー、

とわかるように、

アメリカ人、

少なくともこの気難しい映画を見ようというアメリカ人なら、

その場面が何なのかは、

言葉の説明がなくてもわかるんだろう。

そして、そこが、アーリントン墓地であるのなら、

ジャニーンの涙も

もっと深いメッセージがあるんだと思える。

ジャニーンは、

自分の流したニュースにより、

アーヴィング議員の目論見があたり、

世論が対テロを支持し、

若い人たちが戦場に赴いて

死んでいくことになることを改めて認識し、

自分が議員の陰謀に加担してしまったのだ、

という自責の念が湧いてきたのだろう。

映画の大半を、

記者と上院議員、

レッドフォード演じる教授と

才能あるけれど、社会の現実と向き合わない学生の

会話で進め、

弁舌の戦いとは、これだ!

という具合に話を展開しておいて、

結局行動を起こした若者たちは

アフガニスタンの山中で、

議員の陰謀のために命を落とし、

アメリカにいる登場人物たちは、

言葉を失って、どうしていいかわからずにいる、

というのが、表情だけであらわされる、という作り。

私の頭には、難しすぎる・・

でも、お金があれば、DVD購入して、

何度でも、メリルの演技を見直したい誘惑には

駆られる。

ジャニーン自身について語られる部分はそう多くないのに、

画面の中のメリルに

気鋭の記者として活躍してきた女性を

充分感じさせられるのだ。

メリルが、これこれこういう役割の女性を演じている、

というのではなく、

メリル・ストリープの肉体を使って

そういう女性がそこにいる、と感じさせられる。

やっぱり凄い。

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公開

明日から、いよいよ

『ジュリー&ジュリア』が公開される。

夕刊に広告も出ていた。

でも、我が家の近くの映画館では、

まだ公開しない様子。

電車賃かけて、観に行くか。

来週の水曜、家人が出張でいないらしいので、

夕方、観に行こうかと算段している。

ついでに、3Dの『カールじいさんの空飛ぶ家』も

観てこようかな。

字幕スーパー版は、

今週は、一日に4回上映していたのだが、

割引がないと、3D料金の+300円と電車賃は

さすがに財布に痛い。

来週になると、

3Dの字幕スーパーの『カールじいさん~』の上映は

夜の9時過ぎの一回しかないけれど、

終電で帰れるから、

映画のはしごをすればいいのでは!

翌日の仕事は、午後だし。

ん~、体力の限界に挑戦か?

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Lions for Lambs 大いなる陰謀

今日は、久しぶりに、のんびりモードで過ごせたので、

やっと、借りていたDVDを観た。

メリル・ストリープが

Out Of Africaで共演した

ロバート・レッドフォードが監督・主役で

トム・クルーズも出ている。

92分で、あまり長くないので、

ちょっと軽い気持ちで見始めたら、

けっこう、ガツンとくる映画だった。

対テロ戦争という重いテーマ。

トム・クルーズ演じる上院議員と

メリル演じるジャニーン・ロス記者のやりとり、

レッドフォードのマレー教授の部屋でのやり取り、

アフガニスタンの戦場と

三つの場面での出来事が

同時進行で描かれているのだが、

ちょっと、舞台劇のような趣もある。

『Death Becomes Her 永遠に美しく』といっしょに、

このDVDが来たなんて

ちょっと、あんまりだわ、

というくらい、

まじめな、映画だった。

まだ、自分の中で消化できない。

ひとつ、言えることは、

『Out Of Africa 愛と哀しみの果て』の時と比べて、

レッドフォードが老けたなぁ、ということ。

『Out Of Africa』が1985年の映画で、

『Lions for Lambs』が2007年の映画だから、

メリルも年を取っているけれど、

役柄が違うからか、

ファンだからか、

風格が出ていて当然、

と感じる。

これに対して、

レッドフォートが嫌いなわけではないけれど、

画面を見ていて、

つい、彼の皺に目が行ってしまう。

『グラン・トリノ』の

クリント・イーストウッドだって老けてたけど、

ここまで皺は気にならなかったのに・・

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米ぬか

低糖質ダイエッターのくせに

家庭用精米機を購入。

夜、精米して

タイマーで朝ご飯を炊くわけだから、

精米したてとは言えないし、

私の場合は、雑穀米にするので、

まだ、コイン精米に行く体力がある時点での

精米機の購入がよかったかどうかは

よくわからない。

しかし、白米や、五分づき米の美味しさの判定はともかく、

ぬかがおいしい。

精米したてのぬかを

乾煎りしたものは、

適度にコリコリ感があり、

ほんのり香ばしくて甘い。

家人は、たぶん嫌がるから、

私だけ、雑穀米にふりかけにしたり、

そのままで食べたりしている。

でも、調子に乗って、食べすぎたかも。

お腹の中で繊維質が

非常に膨れている感じがして

やや苦しい。

おぉ、ひょっとして、

これは、新しいダイエット方法か?

炒っていないぬかで、

床磨きをすれば、

これもまたいい運動になるに違いない。

と、思うけれど、実行できるか、

怪しいところである。

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時期

近頃、アラノンの本ばかり読んでいたので、

ちょっと違う本も読んでみようと手にしたのは、

ずっと昔に

本屋で平積みになっていた時に買ったもの。

ローリー・アシュナー ミッチ・マイヤーソン 著

水澤都加佐 訳

『どうしても「心が満たされない」人たち』

(大和書房)

1998年の第一刷である。

タイトルを見て、

美人で頭もいいのに、

時々、異常にエキセントリックになってしまう

職場の同僚の顔を思い浮かべ、

彼女のことみたいだ、

と思いつつ、購入。

冷静に考えれば、

いくら、その人を見ていてそう感じるからといって、

それだけで買うはずはなかったのだ。

実は、それは自分にも当てはまる、

という自覚はあった。

その証拠に、

今の今まで、どうしても読めなかった。

人は、図星を言われると不機嫌になるが、

図星の本だと

買っては来るくせに読まない。

たぶん、読もうとしても読めない。

そのくせ、売り飛ばしてしまうこともできない。

そんなわけで、

もう11年もこの本は、

私の本棚で「そのうち読む本」として

鎮座ましていた。

そして、今。

「アダルトチルドレン」関連の本を少し読んだ後だろうか、

なんだか、すらすら読めている。

さすがに、近頃の新書ほどの楽さ加減ではないけれど、

読みやすい。

どうして、もっと早く、読まなかったんだろう、

とは思うけれど、

今だからこそ、読めるのだろうし、

今だからこそ、読んだ中身が、

私の中にストンと落ちるんだろうとは思う。

今まで読んだ部分で、何度も読み返し、

ついに手帳に書き写した部分。

 完璧を求めることはむずかしいが、

 最善をつくすことはできるのである。

 最善をつくすことができればそれで十分である。

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図々しい

近頃、夢の雰囲気が変わってきている。

建物の中が迷路になっていたり、

行きたいところにさっぱり行きつけなかったり、

といったところは変わらないのに、

夢の中の背景が

以前より、少し明るくなっているし、

夢の中の私も

迷子になっていても困り果てていない。

友人たちと一緒に、

「やっぱり、迷ったね。」という話をしていたりする。

何が、私の中で変わったんだろう。

それにしても、

おととい見た夢では、

最初は、ガッキーこと新垣結衣ちゃんが

時代モノの撮影をしている様子を

観ている感じだったのに、

いつのまにか、

私がガッキーになってしまっていた・・・

いやぁ、我ながら、図々しい。

目が覚めて、

その図々しさに呆れたものの、

細かい夢の内容は忘れてしまった。

長い黒髪でかわいらしい

ガッキーのイメージは、

私の若いころと真逆だから、

夢で自分を投影していたのかもしれない。

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いつの間に?

さっき、あるエクセルで作った文書を

添付してメールしようとして

気がついた。

「送信」を選択したら、

「PDF形式の添付ファイルとして電子メールで送信」

という表示が出る。

え?

こんなこと、今までできたっけ?

試しに、自分宛てに送ってみる。

あら、やだ。

労せずして、pdf文書に変換できちゃった。

今まで気がつかなかっただけなんだろうか。

pdfは読めるけれど、

変換ソフトを買うかどうか

悩んでいたのだが、

自分の作った文書、

自分宛てにpdfファイルに指定して

メール送信すれば、

pdf文書として保存できるということだ。

ふむふむ。

ひとつ、使える道具が増えて、

うれしい。

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ぷっつん

昨日の午前、娘に頼まれたヘアアイロンを捜索。

いくら探してもない。

午後も夜も仕事だと思うと、

だんだんイライラしてきた。

ついに、ぷっつん。

なんで私が、娘のヘアアイロンに振り回されるんじゃあ。

娘の奴、おしゃれを自認するなら、

なんで、

おしゃれ関連のモノのかんりができないのじゃあ。

なんで、私ばっかり!

と叫んで、ああ、これか、

と思った。

娘が、

お母さんはときどき感情的になって怒りだす、

と言っていたの。

私の中では充分説明のつく経緯があるのだけれど、

その途中経過が他の人には伝わらなければ、

「感情的」と言われても仕方ない。

それは、確かにそうでした。

そして、これが、

アラノンの本に出てくる

いわゆる「自己憐憫」というやつに違いない、と。

「自己憐憫」という言葉を読むたびに、

私はそんなに自分のこと憐れだとか、

感じていないのに、

と思っていたのだが、

「私ばっかりたいへんな気がする。」

とは、確かに思うこともあるのだった。

自分は感情的ではないとか、

自分は僻みっぽくないとか、

それは、やはり願望レベルの話か。

ちなみに、ヘアアイロンは、

やはりこちらにはなくて、

娘の部屋のカオスの中から発見されたと

夜、報告を受けた。

バカモン!

と思ったけれど、

昼間のうちにぷっつんしたので、

ガハガハ大笑いして終わった。

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痛風と食事

昨日、痛風患者からは、「食事の参考に」と

参考資料が手渡された。

「痛風」と診断したのはリウマチ科の医者なのに、

その資料は、

なぜか、リウマチ科受診の次の日に行った

泌尿器科の医者の書いたものである。

想像するに、

前日、「痛風」との診断が出たと聞いた時、

私が「食事で気をつけることは?」と尋ねたので、

その質問を翌日受診した、

仲好しの泌尿器科の医者に聞いたのだろう。

地域のタブロイド版の新聞に

その医者が、がん予防の食事として書いたものの

拡大コピー。

がん予防も痛風予防も同じらしいが、

読んでいると、

何だか、肉も魚もあまり食べるな、

みたいなことが書いてある。

そんなに、ぞろりとダメと言われると、

肉も魚も好きな私としては、

別の食事を用意しなければいけないのか、

と、少し、面倒な気持ちになる。

そういえば、結婚したとき、

周りに何もない辺鄙な職場なのに、

職員用の食堂もない、というので

弁当を作ることになり、

3食とも私が作ったものを食べるのか、

と思った時は、

家人の生殺与奪の権を握ったようで、

ちょっと気が重かった。

だから、今更、

勝手に体の中の尿酸増やすようなことしておいて、

病気になりました、

食事は、肉も魚もなしということで、

というのは、

なんだか理不尽な気がする。

というわけで、他の考え方はないかと、

ネットで検索。

すると、あるサイトに、

痛風で問題になる尿酸の多くは、

人体の壊れた細胞から生まれるプリン体であると

わかってきた、とある。

だから、最近では、

「痛風の食事」=「プリン体を多く含む食品の除外」

というのではなく、

1日に3食をバランスよく食べるのがよろしい、

と書いてある。

もちろん、HPによっては、

プリン体を多く含む食事の制限、

としているものもあるけれど、

そこは、自分に都合のいい情報をいただくわけで、

1日3食バランスよく、

であるなら、

これまでの方針と変わらないわけだから、

私としては、このサイトをお気に入りに追加、

である。

しかし、この際、

ご自分の食事は、

ご自分で準備していただくことも

ご検討いただこうかな。

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悪意

今日も、母のところに行って、

窓ガラスに防寒シート張ったり、

粗大ごみ出す手続きしたりしてきた。

母がさみしがっているのがわかったが、

その気持ちにつきあっても限がないので

テキトーに流して帰る。

夜、娘が電話してきて、

昨日頼んだ、ヘアアイロンを送るときに、

ついでにマフラーも送ってほしいとか言ってくる。

送るくらいは、

仕事に行く途中の宅配便屋に寄ればいいことだが、

送らなければいけないものを

彼女の荷物の迷宮から

探し出さなければいけないのだから、

人使いの荒い要求である。

その作業をしなければならないことを思うと、

気が重くなる。

疲れるなぁ。

と思いながら、電話を続ける。

話の途中で、

就活中の姫君が、

履歴書作成で、最後にミスをした、

という話をした。

娘はこの前帰省していた時も、

手書きで書かなければいけない書類、

最後の最後にミスして、

全部書き直したのに、

また最後のところでミスをして、

もう一度書き直して

落ち込んでいた。

それで、つい、

「また?」と言ったら、

娘は

「どうして、そんなに悪意のあること言うの?」

と大憤慨。

全然悪意があったつもりではなかったのだが、

そんなに、口が悪かったのだろうか、

と悩む私に、

娘は、

悪意がなくて、そんなこと言えない、

と食ってかかってくる。

私からすると、

娘が自分の失敗に対して過剰反応しているのだと思うが、

ひょっとすると、

私として、全然悪意がないつもりでも、

言われた方が

大いに悪意あり、感じるとすれば、

それは、

私そのものが悪意の塊、という可能性も考えられる。

正直、もちろん、

自分に、悪意がないとは思わない。

しかし、思いもかけず、

私の発言が悪意に満ちている、

と言われると、

ものすごく、妙な感じである。

悪意は、

私の心の底に澱のように

じっと堆積しているだけだったはずなのに、

そう言われると、

刺激されて、

心の底の澱が撹拌されて、

私の心の中が

悪意でいっぱいになってしまうような気がしてくる。

電話が終わった後、

しばし、非常にいやな気分。

娘が送ってくれ、といっていた、ヘアアイロンを見つけだし、

へし折って、写メで送ってしまおうか、

と一瞬思った私、

確かに、悪意の塊か。

少なくも、

私は、人から、自分の悪意を指摘されるのが、

とても悔しいようだ、

ということを自覚した。

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リウマチと痛風

関節などの痛みを、リウマチとして治療を受けてきた家人、

改めて検査してみたら、

痛風と判明したとのこと。

「リウマチなら治らないけれど、

 痛風なら治る。」

と、微妙な喜び方をしている。

自分の母親が、

自分を産んだのを機にリウマチを発症し、

以後ずっとリウマチで辛い思いをしていたから、

体が痛み出した時、

リウマチに違いない、と思いこみ、

医者もその申告に沿って

違う可能性も大きい、と思いつつも、治療をしていたらしい。

そういえば、何カ月か前に、

「リウマチじゃないかもしれない。」と

ぼそっと言っていたけど、

なぜ、そのとき、結論が出ず、

今になって再検査?

先日、精神科で突き放されて、

本人が再検査を希望したのだろうか?

何にせよ、

家人への、天からの声はひとつ、

体をいたわる気持ちがあるのなら、

酒はもうやめなさいってことだろう。

話は飛ぶが、

『天空の城 ラピュタ』で、

飛行石から発する光が、

ラピュタのある方向を指し示し、

その光の方向に、ムスカ大佐も主人公たちも向かう、

という場面がある。

それと同じように、

私たちの人生においても、

はっきり目に見えていなくても、

ある事柄が、

自分の行くべき道を指示していることが

あるのではないか、

とも思う。

なんて、これは、

私の勝手な思い込みなのではあるが。

天の声が、ご本人の耳に届いているか、

あるいは、飛行石の光が見えているかどうかは、

私の預かり知らないところではある。

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12月!

12月1日、家人の誕生日。

還暦から一年過ぎた。

ある意味怒涛の一年、という感じではあるけれど、

「この人、60歳まで生きるられるのかしら?」

と秘かに危ぶんでいた人が、

それからまた一年生き延びたのだから

なにはともあれ、めでたい。

家人に、心の底から、

「お誕生日、おめでとう。」と言っていた。

飲み続けているから

お祝いしない、とは、

さすがに思わなかった。

なにより、誰かの誕生日は、

抵抗なくケーキを買えてしまうから

うれしい。

願わくば、来年もそこそこ元気に

誕生日を迎えていただきたい。

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