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2009年11月

実家のモノ

実家が、

成人した娘2人と両親が住めるように

家を改築したのは

もう30年前。

次の年には、私が結婚して出ていき、

その翌年には、妹も結婚して出て行った。

父と母は、小さな会社を経営していたのだが、

そのうち、それをたたんで

引退生活に入った。

その際、会社で使っていた

キャビネットとか机とか、

仕事上で使う道具のかなりを

処分せずに

実家に持ってきた。

それらのモノが

実家に置けてしまったことが

そもそもの間違いかもしれない。

中には、家でも使っていたものもあるが、

父がいなくなってはっきり不用品となった。

だが、それらは処分されずに今に至り、

業を煮やした妹の先導で、

可燃物、不燃物など仕分けして、

大物はちょっとずつ粗大ゴミに出している。

さらに驚いたことに、

私たちがいたころにはなかった納戸や物置が

増殖していて、

ティッシュもトイレットペーパーも、

スーパーの倉庫かと思うくらい買い込んである。

確かに、父も母も整理がうまい方ではなく、

私もしっかり「遺伝」しているのだが、

外にはみ出てはいないものの、

実家は、ある意味、「ゴミ屋敷」化している。

先日も、妹と整理をしていて、

機材の箱だけとか、

こんなもの、取っておいてもしょうがないのに、

というものが続々出てきた。

妹の表現を借りると、

「2人とも、いつのまにか壊れちゃったのかな。」

そうだよなぁ。

呆れる、を通り越している状態だよなぁ。

でも、たぶん、

仕事関係の諸々のモノが処分できなかったのは、

それが、

自分たちが頑張ってきた仕事の「形見」に

感じていたからなのかもしれない。

と思ってみても、

半端ではない量。

私と妹がいなくなった

「家族」の空白を

あのモノたちが埋めていたのだろうか。

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ストレス感度

今日、改めて思ったのだが、

どうも私は、

ストレスの感度が鈍いようだ。

ストレスがないのではない。

どこかで感じているのだが、

それをストレスとして認識していない。

たとえば、

仕事から、夜出かけなければならない日は、

実は、朝から微妙に元気が出ない。

夜に仕事があるのに、

元気なくて、よろしくないなぁ、

と思いながら、

晩ご飯の用意をして出かけ、

いざ仕事の時はそれなりに元気、

で、仕事を終えると、

すごく晴れ晴れとした気分になっている。

感じているのに、

自分は何ともない、と思っている。

先週は、忙しく、

また娘を送ったり、実家に行ったりして、

それなりに疲れていて、

さらに、今日、某会合に初参加。

自分の呼吸が浅くなっているのに気がついていたが、

帰宅して、

晩ご飯の支度を始めたら、

足がガクガクしてきた。

あれ?なんだ、これ。

やっぱり、気を張っていたんだ。

どうも、私、頑張りすぎちゃった気がする。

頭がショート寸前だ。

ゆるゆる、お風呂に入って、寝よう。

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アマリリス

家の中に入れているので、

調子が狂ったんだろうか。

アマリリスの花が咲いた。

Photo

夏に咲く花を

こんな時期に咲かせてしまって

申し訳ないけど、

楽しく愛でるので

勘弁してね。

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景色の謎

昨夜は、仕事が終わってから、

ちゃっかりドライブでの戻りを決め込んでいた娘の

ご期待にしっかり応えてしまう。

ドライブ、嫌いではないけれど、

帰り道は、霧の高速道路を走って、

日付が変わる直前に自宅着。

アドレナリンが出すぎたのか、

なかなか寝付けず、

やっぱり疲れた。

とはいえ、今日は、

妹と実家の不要物の片づけの約束。

半分寝ぼけながら電車で出かける。

電車のドアに寄りかかり、

窓の外の景色をみていると、

昨夜通った道が見えてきた。

高速道路の真下を通っている道路。

走っている時は、

下がって上がるので、

地面より下がって、

上って元の高さに戻るような気がしていた。

でも、電車からみると、

ひょっとして、地面より上がって、

下がって元の高さに戻るのかも、

という気がしてきた。

おやおや?と思った時には、

道路はもう見えなくなっていたのだが、

どっちなんだろう?

道路作る時のこと考えれば、

「掘る」より「盛る」方が楽だろうけど。

夜道の運転の感覚と

昼の電車からの目線の違い。

きっと、物事の見え方、受け止め方も、

真逆だったりするのだろう。

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モヤシ

モヤシは安いが、一袋買っても、

2人暮らしだと、どうも最後までおいしく使いきれずにいた。

先日、テレビで、栗原はるみが

フライパンで乾煎りして水気を絞る、

というのを紹介していたので

やってみた。

茹でるのより加減が調整できていい感じ。

とりあえず、ポン酢であえて、

白ゴマ振ってみたら、おいしい!

量が食べられるし、

2,3日なら冷蔵庫で持ちそう。

これなら、スーパーで、

もやし3パック100円の時、

3パック買ってきても大丈夫に違いない。

これまで、ずいぶん、

モヤシの哀れな最後を見届けてしまっている私、

もとい、

モヤシを無駄にしてしまたった私、

これからは、しっかり使い切ろう。

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本日、通院日

本日、家人の精神科通院日。

アラノンのミーティング後、

病院に駆けつける。

私が到着後、すぐに名前を呼ばれる。

いつもと同じような質疑応答。

「それで、酒はやっぱり飲んでいるの?」

「はい。」

といったやり取りの後、

医者が「薬を減らしましょう。」と言う。

「眠れているんだったら、薬を減らしてみましょう。

S先生(春に大学病院に異動)も、酒を飲むのは眠れないから、というので、

眠れるように薬を出していたんだと思います。

酒をやめないんだったら、何のためにここに来ているのか、

ということにもなりますしね。

酒と一緒に飲んでほしくない薬だし。」

おぉ。

今までの、なんとなく、ぬらりくらりとした態度とは大違い。

家人が、なんとなく、戸惑っている気配がする。

いつもは、薬局も同行なのに、

今日は、もう帰っていいと、言われる。

ただいま帰省中の娘に話したところ、

娘いわく、

「お父さん、ショックだったんだよ。」

はてさて、彼の気持ちはわかりようもないが、

本人が「ギブ!」と助けを求めもしないのに

私としては、なんとも申し上げようがないのである。

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寝過ごす

今朝は、夢の中で、

自分のドジをつっこまれ、

目が覚めたら8時40分。

見事に寝坊。

一日、ばたばたしながら過ごしてしまう。

やっぱり、人間、早寝早起きが大切。

と思いつつ、今日もこの時間。

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座右の銘

座右の銘は?

と聞かれれば、

「能天気」

と答えてきた。

「能天気」がたぶん私の一面であるのは確かだと思うが、

同時に、私の中に

「山椒は小粒でもピリリと辛い」とか

「寸鉄人をさす」とか

小柄でも侮れない存在でありたい、

と思う部分があるのも確か。

別の表現を使えば、賢しらなんだろう。

そういえば、小学3年生の時、

国語を教科書ガイドで予習していて、

授業の時に、「○○の行動はどんなか?」

という先生の質問に、

待ってました、とばかりに

「こまっしゃくれている」などと何度も答えたものだから、

先生の方もカチンと来たらしい。

「Kurulimpaさん、

 『こまっしゃくれている』ってどんなこと?」

と尋ねてきた。

そこまで、ちゃんと調べてくるほどは、

頭が回らなかった私、答えに詰まった。

すると先生は、

「あなたみたいなことを言うのよ。」

なるほどね、

と、どんな説明より納得してしまった私であった。

不思議に、傷ついた、という気はしなかった。

あまりに、ズバリだったし、

ズパリを言われて、腹を立てるほど、

まだオヤジ化していなかったのだろう。

お利口にお利口に、と立ち回ってドジ踏んだ。

今の私は、もっと巧妙なんだろうか?

そうだと思えば、そうのようでもあるし、

そんなことないと思えば、そんなことないようでもある。

とりあえず、今の自分の座右の銘は、

「能天気」といえばウソになるし、

山椒だの、寸鉄だの、ドンパッチだの(?)

そんなこと、ちょっと疲れてきた。

そうだな、座右の銘 『一時棚上げ』。

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小粒

「山椒は小粒でもピリリと辛い」

子どものころ、母から教わって、

なぜか私の中に深く、

秘かに信条のようにある言葉。

昔から、背が低かったから、

気に入ったのかもしれない。

それで、ついつい、毒舌などついていたが、

それってどうなのかな?

とこのごろ思う。

なにかにつけ、

他の人たちが気がつかないことを指摘をして

「さすがkurulimpa」と言われて

うふふ、と思っていたけれど、

近頃、どんどん口が悪くなってきたかもしれない。

ん~、この人タヌキだなぁ、と見抜くことと、

その人に対して辛口コメントするのは別のことかも。

別に何があったわけでもないが、

ちょっと我が身を振り返る、

さむ~い晩秋の夜。

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バザー終了

心配していた天気もすっかり持ち直し、

無事、バザー終了。

やはり、景気が良くないのを反映してか、

食器の提供が少なく、また売れ行きもはじめのうちは

芳しくなかったけれど、

終わってみれば、

捨ててしまうものが少なくてよかった。

私も父の未使用のキャンパスが売れて

うれしい。

母と妹が、父の死後すぐに、

躍起になって父の部屋を片付けていた時、

未使用のキャンパスを捨ててしまう、

というので

だれか使ってくれる人に譲るから、

と言って宅配便で送ってもらった。

そのまま、私の部屋の隅で埃を被っていたのを

今日、出してみたのだ。

絵を描かない人には、何の役にも立たないから、

売れなくても仕方ない、

と思っていたが、

お酒を飲まない国の若者が買ってくれた。

まぁ、宅配便代にもならないけど、

使ってくれる人がいるのは

やはりうれしい。

バザーから戻って、疲れた頭で、

「Death Becomes Her」のころの

メリル・ストリープの映像をネットで観る。

映画の役のマデリーンと全然イメージが違う。

きれいだなぁ。

第4子を産んだ後だということを考えると、

パワフルなのにしっとりきれい、

と感心してしまう。

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Death Becomes Her

『永遠に美しく』

私がメリル・ストリープの映画で

最初に見た作品は、これ。

テレビの吹き替えでだけど、

内容の印象は残っていても、

女優メリル・ストリープに魅力を感じたかというと、

そのときは、そうでもなかった。

それより、『ダイ・ハード』のブルース・ウィリスが

女二人に振り回される様子が

なんだか不思議だった。

改めて、DVDで観てみると、

メリル・ストリープが演じているマデリーンも

ゴールディ・ホーンが演じているヘレンも

しみじみ、嫌な女たちだなぁ、と思う。

もう、死んでしまっているふたりが、

ブルース・ウィリスのアーネストに

自分たちを修理してほしいと頼む場面の

「Please.」は、実にうまく、恐ろしい場面になっていると思う。

2日連続で、繰り返し観てしまった。

よくよく話を考えてみると、

せっかく秘薬を飲んだのに、

メリルのマデリーンは

その晩に階段から落ちてしまったのだから、

せっかく手に入れた

若い肉体を存分に楽しむことは

ほとんどできなかったことになるけれど、

そんなこと考えさせないくらい、

話が展開していくところも

うまく作ってあるなぁ、と思う。

『Julie & Julia』公開前のインタビュー番組で、

街行く人からの質問、というような場面で、

「一番チャレンジングだった映画は?」という質問に、

メリルは、「Death Becomes Her.」と即答している。

ブラックコメディという、それまで出たことがないジャンルだし、

特殊メイクや特殊撮影を駆使した作品だし、

メリル・ストリープにとって

やはり大きな転機となった作品なんだろう、

と思う。

最近のメリル・ストリープの映像を見ているせいか、

映画の中でちょっと老けメイクをしているメリルも

あんまり違和感ないのが

笑ってしまう。

メリル・ストリープが演じている人物が

魅力的なわけではないのに、

DVDを買ってもいいかも、という気になっている。

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手を離す

 手を離して神に預ける

アラノンの本を読んで、

最初に気になった文。

そんなに、自分は、家人を抱え込んでいるんだろうか?

愛ある離脱?

いや、そもそも、愛はあんまりないかも・・

しかし、客観的にみれば、

ここにアルコール依存症者が一人いて、

どんな形であれ、

それと連れ添ってきた私がいて、

アルコール依存症者が飲み続けているんだから、

やっぱり私が抱え込んでいる、

ということになるんだろう。

だから、隠し酒がないか、家探ししたり、

見つけた焼酎の箱の中身、

水に入れ替えたりするの、やめた。

家人が飲んでいるかもしれなくても、

そのことはあれこれ詮索しないように

気持ちを変えてきた。

それでも、今一つ、

「手を離す」ことができているのかどうか、

よくわからない。

しかし、ふと、気がついた。

文は、最後までちゃんと読まなくては。

「手を離して神に預ける」

そうだ、「神」に預けるのか。

手を離して、後は野となれ山となれ、

というわけではないのだ。

そうか、「神」に預けるのか。

それなら、

自分と向かい合わないまま年を取り、

その上、自分の老いを受け入れられない母のことも、

微妙な親子関係抱えている彼氏と共依存気味の娘のことも、

私は手を離して、「神」に預けていいのかも。

ついでに、我が家の老猫のことも、預けてしまおうか。

でも、そんなに、預けちゃったら、

「神」さん、迷惑じゃないだろうか?

------と、考えて、あ!と気がついた。

「神/ハイヤーパワー」なんだから、

大丈夫。

そう思ったら、ものすごくほっとした。

私は、実は、人に寄りかかるのが怖い。

気を許して、身を預けたら、

ふっとかわされてしまうような気がしてしまう。

でも、いいんだ。

相手は、「神」なのだから。

手を離して、神に預ける。

ほんとうに気持ちが安らいだところをみると、

やっぱり私は、自覚はないけど、

家人のことやら何やら、

自分にはどうしようもないこと、

かなり抱え込んでいたらしい。

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超越した存在

アラノンの本を読んでいると、

「神」とか「ハイヤーパワー」とか言う言葉が出てくる。

「神」ということばは使っていても

特定の宗教の神ではなく、

一人ひとりの人間を超越した存在、

という感じで、

誰かと共有するイメージは持たなくていいらしい。

それでも、アラノンの本を読み始めたころは、

正直、

「神」だとか「ハイヤーパワー」という言葉が出てくると、

「う~ん、私、アラノンに行っていていいのかな?」

と思ったりしたことがあったことも確か。

ひょっとして、二進も三進もいかない状態に陥った自分は、

不思議の宗教に入り込んでいくのだろうか?

とも思った。

まぁ、しかし、

引き返せなくなった時は、

それはそれ、

そういう人生なのだろう、

と覚悟を決めて、

とりあえず、毎晩、

少しずつ本を読んでいる。

すると不思議なもので、

それほど、「神」とか「ハイヤーパワー」が

いかがわしい印象ではなくなってきた。

それこそが危ないのかもwobbly

まぁ、もう少し様子を見よう。

「神」は、私の中では、

「人事を尽くして天命を待つ」などと言った時の

「天」に重なる。

自分ひとりで、人生が仕切れるわけではなくて、

そういう、個々の人間を超越した存在や

人生の綾とも思える不思議な展開を

受け入れる余裕を持て、ということか。

など、当たり前と言えば、

当たり前のことを

けっこう神妙に考える今日この頃。

何もかもが急展開しているわけではないけれど、

それでも、

遅まきながら、

ほんとうに、自分の人生と向かい合うようになってきたのかも。

そのきっかけが、

実は、家人のアル症だと思うと不思議。

以前の自分だったら、

そのことを「人生の皮肉」と受け止めたと思う。

でも、今の私は、そうは思わない。

家人が身を呈して、

私の人生に転回点を与えてくれたような気がする。

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フラフープ

娘はフラフープの名手である。

電話しながらでも、

本を読みながらでも

フラフープできてしまう。

いつだったか、フラフープしながら

私と長電話して

40分も回していたことがある。

私も、子どものころは回せた。

しかし、娘に触発されて

取り組んでみても、

10回も回らない日々が続いていた・・

先日、娘が帰宅した際、

「回せるようになった?」と聞くので、

「まぁ、君ほどではないけど」

とクルクル。

「あ、すごいじゃない。

 ずいぶん練習したんだね。」

「というか、やはり、前は、

 お腹周りの脂肪が

 フラフープの運動エネルギーを

 奪っていたんだと思う。」

「え?結局、それ?」

「うん、たぶん。」

そう、フラフープを回す技術もあるが、

腹周りに肉があると、

それがフラフープの回る力を低下させて

すぐに回らなくなる。

それで、頑張って練習しても、

ちっとも回らない。

しかし、贅肉が落ちてくると、

少ない労力で

フラフープの回転が維持されるから

回るようになってくる。

それで、またお腹周りが

少しすっきりする。

すると、フラフープはまたよく回る・・・

悪循環、の反対は、なんて言うんだろう。

好循環?

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「紅葉」のささやき

ここのところ、大急ぎで出かけたり、

暗くなってから家路に就いたりすることが多かったせいか、

気がつかなかった。

桜もイチョウも、

すっかり葉が色づいて

散り始めている・・・

♪紅葉 mapleが街に、急に散りだした

   ある日、私が知らないうちに♪

といっても、

なんの替え歌だかわからない人たち、

たくさんいるんだろうな。

ちなみに、

家人は学生時代、

天地真理のファンだったらしい。

今年も、あと一ヶ月半。

今年こそ、「大掃除」、

今年のうちに済ませたい rock

まぁ、年を越してしまうと、

暖かくなってから、と

あちこちパスしてしまうのだが・・

「ロト6」じゃないけれど、

我ながら情けないくらい、

「大掃除」のキャリーオーバーが続いている。

反省より、行動、

できるかな?

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シアタークリエ

先日、ミュージカルを観に行った『シアタークリエ』は

もと芸術座。

といっても、芸術座には、行ったことがない。

3年前に、これも生協でチケットを購入して

(このときは、抽選に外れて、電話申し込みをした)

森光子の『放浪記』を母と一緒に見たが、

このとき、芸術座は閉められていて、

帝国劇場での上演だった。

帝国劇場は恐ろしく大きくて、

オペラグラスを持ってくればよかった、

と思うくらい、森光子が小さく見えた。

それに比べると、

シアタークリエは、かなり舞台が近くて

いい感じ。

この大きさの劇場で『放浪記』観たら、

帝国劇場で観たのとは、

ずいぶん印象が違うだろう、と思う。

高校時代、演劇部にいたこともあったが、

なにしろお金がないから、

いつも芝居の公演はチラシと新聞の評論を読んで

想像するばかり。

紀伊国屋ホールの『熱海殺人事件』だって、

えいや!と、覚悟を決めて観に行ったんだっけ。

もちろん、商業演劇は、縁がなかった。

それにしても、演劇部に入ったのに、

結局、私は中途半端な部員だった。

勉強は二の次の演劇少女というわけでもなかったし、

体がサッサと動くタイプでもなかったし、

桐朋の演劇科に進んだ先輩が来て、

ラジオ体操を

筋肉痛になるくらいきっちり指導してくれたこともあったけど、

結局、やめてしまった。

どうも、いつも、

何かにのめり込むのを

ためらってしまう。

中途半端な自分が、少し残念。

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おしゃれ

娘の私が言うのもなんなのだが、

私の母はけっこう美人である。

妹は、母似で小さいころからかわいいと評判。

私は父似で、

子どものころは、自分はちっともかわいくない、

と思っていた。

小さい子どもは、みなそれなりにかわいい、

なんてことに気がつくのは、

結婚してからの話である。

それで、いつの間にか、

自分は見た目では評価をされない、

という気持ちをずっと抱いていた。

もちろん、人が見た目で評価されることにも

憤りを感じていたから、

おしゃれに情熱を注ぐ、

という行動が全く分からなかった。

学生のころは、服に使うお金もなかったし、

とにかく、

おしゃれはバカバカしいもの、

という感覚を持っていた。

その価値観が大きく変わったわけではなく、

基本的に、小ざっぱりとして動きやすいのが一番、

という考え方に変わりはない。

しかし、

そういう自分なりの基準に合わせたり、

時に外したりして

着るものや持ち物を楽しむのがおしゃれなのかも、

と最近思うようになってきた。

体重が減って、選択肢が増えたせいもあるかもしれない。

ミュージカル鑑賞のための上京に際し、

普段はしない「お遊びモード」にして

出かけた。

といっても、特別な服を買ったわけでもなく、

手持ちのもので

組み合わせを工夫してみた、

つまり「工夫してみた」というところが、

私としては、

ちょっと緊張感があり、

自分の状態を楽しんでいるところでもあった。

でも、何かが、ちょっぴり足りない、

と感じていた。

東京で前を歩く女性を見て気がついた。

ブーツだ

車での移動が基本の家の近所では、

おばさんはブーツを履かない。

車を降りる時に、

ショートブーツに履き替えることも

たまにはあるけど、

ロングブーツなんて

結婚以来買ってない。

だからといって、

ロングブーツがほしくなったわけではないが、

頑張っても、今の自分は

こんなところか、と思った次第。

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『グレイ・ガーデンズ』

チケットの申し込みをしたときは、

実は、話の内容は考慮していなかった。

大竹しのぶと草笛光子と宮本亜門。

まさに、興行主の思惑どおりに、

チケット申し込んだミーハーである。

チケットが当選してから、HPを見て、

ふ~ん、アメリカのゴミ屋敷の話か、

とわかった次第。

アメリカのゴミ屋敷の住民が、

なんとジャクリーン・ケネディ・オナシスの叔母さんとその娘で、

アメリカではスキャンダルになったらしい。

その二人の暮らしぶりがドキュメンタリー映画になり、

なぜかミュージカルになった、ということと、

1幕目で母親役を演じる大竹しのぶが、

1幕目の設定から20年後の設定になる2幕目では

娘役になり、

母親役は草笛光子が演じる、ということを

予備知識に仕入れて観に行った。

娘は母から逃れようとしていったんは逃げ出したものの、

結局、母のもとに戻り、

ゴミ屋敷で愛憎の入り混じった感情を深めつつ暮らしている。

1幕目の終わりに

美しいドレス姿を見せつけた大竹しのぶが

2幕目ではお腹太目の不思議なファッションで登場するなど

面白い趣向がいろいろあった。

とはいえ、ばたばたと夕方上京した私は、

幕が上がってもすぐには頭が切り替わらなくて

最初は舞台のハイテンションについていけなかった。

今日になって、

大竹しのぶの歌声が頭の中で回ったりしているのだが。

大竹しのぶは、

母親と娘を演じ分けていてうまかったし、

草笛光子はそれを凌駕する存在感があった。

草笛光子の声だけ

マイクを通している感じがしなかったほど。

1幕目で娘を演じた彩乃かなみ(宝塚出身)は

歌がうまくてかわいらしかった。

決して、観た人が元気になります!という話ではない。

舞台の上の年老いた母親が

自分に反発する娘に対して

「ここは私のうちよ!私の好きにして何が悪いの!」と

自分の意向が一番に通されるべきだと主張する姿に

私の母の姿が重なり、

母親の支配する空間から逃れようとする娘の姿に

私自身と娘の姿が重なった。

内容を考えずに観に行くことになったのに、

恐ろしいくらい、私にタイムリーな話だった。

まさに、私自身が娘として母として

いや何より一人の人間として

一人で生きていけるようになれ、

という天からのメッセージのような気がした。

まずは、我が家の『グレイ・ガーデンズ』化を

喰い止めなくては。

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木曜の夜なのに

木曜は、仕事の配置が少ないことが多いので、

生協のチケット申し込んだら、

買えてしまった。

チケットを買った後で、

仕事の配置が決まったけれど、

頑張って上京して観劇。

シアタークリエ

『グレイ・ガーデンズ』

大竹しのぶと草笛光子、

演出は宮本亜門。

6時半開演、

終わったのは9時ちょっと前。

駅まで小走り。

明日は人並みに一日仕事があるから、

感想その他は、明日に続く・・

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疲労解放?

友人に紹介されてときどき行っている整骨院。

最初に、大先生の前で歩かされる。

その姿を見て、どこが悪い、という診断(?)がなされる。

おまけに、何人兄弟だろうとか、

あなたは長女だろうとか、

占い師みたいなこともおっしゃる。

微妙に怪しの雰囲気なのだが、

身体全体を見て、

痛みが出ているところの周辺だけを治療するのではなく、

根本がどこにあるのか

判断するところに説得力がある。

で、結局は

「もっと歩きなさい」と言われる。

私の場合など、

「あなたはとても丈夫な体なんだから、

 歩いてさえいれば、

 体のトラブルは何もないはずだ」

とまで言う。

おまけに、丈夫なゆえに、

人並み以上に疲れをため込めてしまえるから、

調子が悪くなった時は、

逆に回復がたいへんなのだとも言われた。

氷嚢に氷をいれたもので、

アイスマッサージを受けるのだが、

施術中に、担当のお兄さんに

「普通の人なら、もうどうにかなってますよ」

と言われたこともあるし、

整骨院のドアを開けた時、

受付のお兄さんが

私の顔を見て嫌そうな顔をしたのを

見てしまったこともあるところをみると、

ほんとにヘビーな患者なんだろう。

しばらく、行っていなかったのだが、

ここ何日か、腰全体がピリピリ痛むので、

今日、アラノンの後、行ってみた。

大先生が、

「どうした?」と聞いて、私の答えを待たずに

「疲れきったんだな。

 あんたの場合、それしかない。」

そういう先生も、

なんだか、以前の元気がない感じ。

とはいえ、ごりごりアイスマッサージを受け、

すっかりとは言えないけれど、

腰というか背中全体が軽くなった。

家に帰ってから、

この前買った『あずきのチカラ 首肩用』で

肩をほぐす。

      Photo   

早稲田大学のロゴではない

「お腹用」のかわいらしさはないが、やはり優れもの。

だいぶコリが取れてきた感じだけれど、

同時に封じ込めておいた疲れが

体全体に解き放たれてしまったか。

むちゃくちゃ眠い。

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長電話

今日も娘から長電話。

彼女の彼氏は、

「悪い人ではないけれど」、

困った問題が発覚し、

そのことで喧嘩して、

ただいま絶縁中。

それで、さびしいらしく、

なぜか私に電話してくる。

客観的に見たら、もう縁がなかったと思えばいいのに、

そうは気持ちに踏ん切りがつかないらしい。

 負のループ

やはり、どん底まで行かないと、

踏ん切りつけられないのかも。

電話をしてこられる方としては、

ちょっと気がもめるけれど、

娘の気持ちも、娘の置かれた状況も、

私には変えられないこと、

なのだろう。

結局、私も娘に振り回されている。

あ、「私も忙しい!」と言って

とりあわなきゃいいのか。

娘の気持ちが弱っていると思うと、

ついつい付き合ってしまうけれど、

踏ん切りがつけられないのは、

私も同じか。

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バザー

今朝、何だかバテテしまって、

ボランティアグループのバザーの打ち合わせ、

パスしてしまった。

バザー前日の準備と当日は

フル稼働の予定だから、

打ち合わせ、サボっても

赦してもらえるだろう。

激安バザーに向けて釣銭の10円を

たくさん準備しなければならないけど、

小銭のほかに、気力と体力もたんと貯えないと大変。

当日、ものすごい勢いで値切ってくる

外つ国の人々とやりあうのにも

気力体力がいるが、

前日の品物の準備と

バザーの後の後片付けにも

気力体力が必要。

小・中学校在籍の子どもの家庭に呼びかけての

品物収集だから、

かなりごっつり量が出る。

衣類などは、ちゃんと洗濯されて出されているし、

雑貨だって、壊れモノはないし、

本だって、そんなに古くもないのに、

なぜか、バザーに出されたものには、

それぞれの家庭から排除されたモノたちの

さみしい気持ちがまとわりついているようで、

並べているだけで消耗してくる。

それが、結局、売れ残ってしまったあとは、

始末がたいへん。

衣類は、他の国の支援をしている団体に引き取ってもらったり、

ちかぢかバザーをするところに譲ったり、

資源回収の業者に持って行ってもらったり。

しかし、雑貨類は、捨てるしかない。

ここ何年かは、

品物を集める時に、

あれこれ条件を厳しくして

量が少なくなるようにしているけれど、

それでも、後片付けに2時間はかかる。

黙々と残ったものを袋に詰めていく作業は、

けっこうくたびれる。

「捨てる」という作業は、しんどい。

それが、もう捨てるしかないものだとわかっていても、

モノに引導を渡す作業は、

気持ちが消耗するのだ。

バザーに品物を出した人たちは、

それで、自分はちょっとエコした気がしているかもしれない。

確かに、使わない人から

使ってくれる人の手に渡り、

モノとして新たな活躍の場を得られる物も

少なくはない。

しかし、一方で、

結局、捨てるしかないモノもたくさんあるのだ。

バザーの後片付けをしていると、

ときどき、

出した人は、モノに引導渡すしんどさから

逃げているような気がしてくることがある。

それにしても、

我が家も、捨てるべきものは捨てなくてはいけないなぁ。

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夜のドライブ

今週末も、娘は帰省。

就活やら実験やらで忙しいうえor忙しいから、

ボーイフレンドとの間にかなりの溝があるのがわかり、

週末一人でいるのがしんどいから、

というのが真相。

だけれども、

単純に家人は喜んでいる様子。

さすがに、昨日は電車で帰ってきたが、

「帰りは送ってくるんでしょう?」

といけしゃあしゃあとのたまう。

正直、日曜の夜のドライブは、

ちょっとオバさんには堪えるのだが、

そこは親バカな私のこと、

結局、車で送り届ける。

スタバに寄ってコーヒー調達して、

高速に上がったとたん、渋滞。

いつもは、もう少し行ってから渋滞しているのだが、

その手前で事故があったらしい。

たらたら2、30キロで走りながら、

「電車で帰った方が速かったんじゃない?」

と聞くと、

「私、車に乗っているの、好きだもん。」

まぁ、実のところ、私も好きだけど。

夜のドライブ、、

どこまでもずっと運転して、

遠くに行ってしまえたらいいのに、

という点で、

意見が一致した娘と私であった。

娘をおろして、

帰りは反対車線の渋滞を目のわきにとらえつつ、

120キロくらい出したりしながら、

びゅんと気持ちよく帰ってきた。

でも、やはり疲れたから、

あれこれ柔軟体操してみた。

また、一週間が始まる。

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町内秋まつり

本日、町内の秋まつり。

大人も子どもも一緒の文化祭みたいな感じ。

町内の親睦が深まるいい機会。

半日、外に居て、

食べ物作って食べて、ビンゴして、

おしゃべりして笑って過ごす。

家人は、今朝、

「付き合い程度に飲むから、

 ガタガタ言うな。」と宣言したので、

「ガタガタ」と返事しておいた。

実際に、ビールを何本か飲んでいたようだが、

祭りの終わりのときには、

缶に残っていたビールを捨てているのを

たまたま目撃した。

もっとも、私は、自分のおしゃべりに忙しかったので

家人のことはどうでもよかったけれど。

今年は、

縁あって、猛禽類を飼っている人たちに

子どもたちに取りを見せてもらう機会もあった。

私も隼やコノハズクなど、

実際に触らせてもらう。

フクロウはとてもソフトなさわり心地。

ときどき、鳥を連れて町内に現れていた人たち、

鷹匠かと思っていたけど、

猛禽類をペットにしている人たちだったのね。

Photo おとなしくしているけれど、眼光は鋭い

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母と妹

妹は、実家片づけを何とかしたいと思っている様子である。

妹いわく、「年を取ると片づける元気もないだろうから」と

どこをどうして、

と計画を立てている。

私は、母から

「そんなにせっせと片づけなくてもいい」

と聞いているし、

母が環境の変化を嫌がっているように

感じている。

まぁ、片づけたほうがいいとは思うから、

せめて、母の意向を汲みつつ

片づけの計画を立てた方がいいのでは、

と思うのだけれど、

よくいえばテキパキ派の妹は

片づけて当然、という前提で母と話をするから、

母が変化を嫌がっているのに気付かない様子。

母は母で、私にはごちゃごちゃ話ができても、

なぜか妹には話しにくいのだそうで、

結局今日も言いそこなったらしい。

年を取ると子どもに帰る、

というはなしもあるけれど、

母の場合は、

年は関係なく、

メンタルでは

昔からずっと子どものまま、なのだ。

本人も、自分が、やや勝手なこと言っているのには

気が付いているのだが、

「自分はずっとこれでやってきたんだから」

と、これまた勝手な自己主張をするから

埒が明かない。

妹も、自分の考えが常識的なものだという自負があるから、

そのうちまた、

2人の見解が衝突するんだろうか。

ん~、そうすると、「おねえちゃん」は

また仲裁しなくちゃいけないんだなぁ。

まったく、母は、どうしてあんなに、

子どもじみている自分を

きっぱり主張できるんだろう。

妹の「自分の考えに間違いなし」にも

ときどき閉口してしまう。

まぁ、どちらの気質も

私も持っているけれど。

あぁ、だけど、

今のところはまだ、もめてはないんだった。

まだ起こってはいないことについて

あれこれ心配するのはやめとこう。

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グローランプ

先日、実家に帰った時のこと。

台所の流しの上の小さな蛍光灯の調子が悪い、

と母が言う。

グローランプがつかないし、取れない、

というので、

妹と二人で外してみようとしたのだが、

確かに外れない。

前から、グローランプの調子が悪かったから、

近所の電器屋に相談してみる、

というので、

あとはよろしく、ということになった。

昨日、電話で、経過をきいてみた。

すると、母がいうのに、

「あれは、取れないと思うの。」

私「え?電器屋さんがそういったの?」

母「ううん。なんか、ちゃんとつかなくて、すぐに外れるから、

  私が、接着剤で付けたから。」

お~~い、母上!

それなら、なぜ、この前そう言わぬ。

第一、そんなことしたなら、

蛍光灯の調子が悪くても当然ではないか。

いかにもあなたらしいですけど、

そんなご無体な・・・

なんか、こんな本末転倒な話、

前にもあったような、

と思ったら、

昔々の夏休みの絵の宿題、

9月の1日に

静物画描いていた怠け者のことを思い出した。

茄子の色が思うように出なくて、

ヤケになって、茄子の方に絵の具を塗ってみたが、

もちろん茄子は半端な色をはじいて光っていたっけ。

なんだろう、この無駄な強引さ。

私も受け継いでいるのか。

母が強引なのは、年を取ったからではない。

昔から、物事は、自分の思った通りにあるべき、

と思っているのだ。

しかし、グローランプを接着剤で付けてしまうって、

どっからそんな発想が出てくるんだろう。

ユニークすぎて、ついていけない coldsweats02

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晩秋の夕暮れ

昨日は木枯らし1号が吹いたとか。

土曜日に、娘からのSOSで

親ばか出動したのはいいが、

いくら運転しやすくても慣れない車で

土曜、日曜と夜の高速ドライブをしたのは

けっこう堪えた。

それで、

昨日は布団や洗濯物干しでベランダに出た以外は

家の外に出ず、ちょっと引籠り。

おやつにこの前知り合いにもらったメキシコ土産の

ヤギの乳で作ってある甘~いヌガーを食べてから、

寝室の隅で衣類が堆積してきているのを

だらだら片づけ始めた。

ふと窓の外を見て、

暮れていく空に目が釘付けになった。

部屋の明かりを消して、

しばらく窓の外を見ていた。

西の空、地面に近い方は明るく、

私の家の上あたりは暗く、一番星が見え、

その対照が美しかった。

しばらく見ていると、

時間の経過とともに空全体が暗くなっていく、

というより、

西の空はさらに明るく、

そして、こちらの空はどんどん暗くなっていくようだった。

風が、街路樹の枝先を揺らしていた。

こんな夕暮れ、

今までの自分だったら、

すっかり気分が滅入ってしまったと思うのに、

昨日はそうでもなかった。

飽きることなく、空を見ていた。

自分は、少しはよくなっているのかもしれない。

家人が飲んでいても飲んでいなくても、

自分は今、夕暮れをじっくりと眺めていられる。

そして、突然、父のことを考えた。

4年前、自ら死を選んだ父。

人生を追いつめられて、終わりにしてしまった。

老いる、ということが難しいのか。

それとも、子どものころから抱えていたらしい心の傷が

最後まで父を苦しめていたのか。

多くを語らず、ふいにいなくなってしまった。

そんなにも苦しかったのか、

と思ったら、父がかわいそうな気がした。

だからといって、赦したわけではない。

でも、ほんとうにかわいそうだと思った。

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TVCM

つい最近になって気がついた。

酒のCMの字幕に、いつのまにか

「楽しく」とか「ほどぼとに」とか「適量」とかいう

言葉がついている。

飲酒運転や年齢制限のほかに

いつの間にか、こんな注意書きがつくようになっていたのか。

 こちらは、注意は促しました。

 飲みすぎるのは、個人の問題です。

もちろん、そうだけど、

おいしそうに登場人物が

ごくごく飲んでみせた後に、

あんな一瞬表示したって、

アル症の人間の目には

見えていないと思う。

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ある日の午後

先日、15年来のお付き合いのAさんが

新幹線で4時間ほど西の方に行ったところに

お引っ越ししてしまった。

私が住んでいる地域は、

人の移動がそれなりにあるところだし、

北海道出身のAさんが

いずれ北海道に帰るだろう、

ということは覚悟していたのだが、

その前に、西に引っ越してしまうとは・・

お引っ越し前に、

友人一同でランチ会などもしたが、

お引っ越し当日は、

仕事があってお見送りできず、

どーしてるかなぁ、

そろそろメールは読めるようになったかなぁ、

ハガキでも書こうかなぁ、

などと思っていた。

すると、ある日の午前の集まりで

Bさんが、

「今、Aさん、こっちに来ているみたいよ」

と言い出した。

Aさんのご主人の転勤が決まるのが急だったため、

とりあえず、引っ越しはしたものの、

こちらのマンションの処分がまだ終わっておらず、

荷物も少し残っていて

その片づけに来ている、というのだ。

じゃあ、これから、お弁当買って押しかけよう、

ということになり、

居合わせた5人で行くことに、即決定。

こういうとき、

おばさんたちは悩まない。

マンションのそばのスーパーに車を入れ、

スーパーで、「寿司カツサンド」というのを見つけ、

(たぶん、どこぞの空弁のパクリだろう)

6個買い込む。

Cさんが、シュークリームのお店で

デザートを買いこんでいる間に、

私は、イチジクが6個一パック290円也、を発見。

これは安い!と

自分用にまず購入を決め、

あ、これもデザートに、と

昼食用にも買いこんだ。

Aさんのマンションは

このあたりでは最高級のマンション。

有名俳優夫婦が最上階の部屋を購入したとかいう噂もあった。

その最上階にAさんの部屋はある。

彼女がこのマンションに引っ越して3年、

遊びに行くのが、

次の引っ越しがすんでから、

というのも

何だか妙な話だけれど、

素敵なマンションのお部屋、見せてもらった。

それから、いよいよ、昼ごはん。

小さなテーブルで、紙コップでお茶をいただきながら、

寿司カツサンドをパクリ。

本家の空弁を食べたことがないので

どのくらい本家と違うかわからない。

海苔の上に乗せた寿司飯で

サニーレタスとカツを挟んで

押しずし風にしたものを

サンドイッチのように切ってある。

カツとサニーレタスの間には、

ちょっとだけマヨネーズが塗ってある様子。

なかなかおいしかったdelicious

シュークリームは、

皮がカリカリタイプのもの。

Cさんが「ひとつだけ、当たりがあるからね。」

なんて脅かしたけれど、

もちろんわさび入りはなかった。

さて、イチジク。

北海道出身のAさんとBさんは

「イチジクは初めて」とのこと。

普段食べているDさんと私が、

パクリとイチジクに噛みついたら、

イチジクの皮を剥いていたEさんが

「皮、食べるの?」と目をむいた。

東京出身のDさんと私、「皮、食べないの?」

京都出身のEさんは、「私はいつも剥いて食べる。」

栃木出身のCさんも、

「半分に切って、スプーンで

 グレープフルーツみたいに食べる。」

Dさんと私「いや、皮ごと食べなきゃつまらない。

       他の国の人は、

       ブドウだって皮ごと食べるし、

       果物は皮ごと食べたほうがいいんだと思う。」

というわけで、

みんな、半ば強制的に

イチジクを皮ごと食べた。

でも、ネットで見たら、

皮をむいて食べる人が多いらしいcoldsweats01

確かに、たまに、イガイガすることあるけれど。

Dさんと私は少数派だったか・・・

ささやかな食べ物で、

引っ越しの片づけのAさんの陣中見舞いに

楽しい時間を過ごした午後だったnotes

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物知りな竹井さん

生協で、しいたけの栽培キットを買った。

去年も購入したのだが、

幸か不幸か、我が家がシイタケの栽培には暖かいので、

夜は外に出しておくことに。

ところが、朝しまうのを忘れて、

直射日光を浴びて干からびた様子になり、

なんだかちゃと育たずに終わってしまった。

懲りずに今年も購入。

朝、しまい忘れても大丈夫なように、

ちゃんと日陰になるように工夫する。

もっとも、しまい忘れもなく、

順調に育つ。

小さめのものも楽しんでいたが、

今日はこんな感じ   091101

焼きシイタケを、緊急帰省中の娘と楽しんだ。

ちなみに、このシイタケの栽培キットの説明書、

最初見た時、なぜか、

「物知り たけい」と読んでしまった。

目の錯覚によるアナグラム。

Photo 

シイタケだけではなく、

言葉遊びも楽しめる。

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親ばか出動!

今朝は惰眠を貪るつもりでいたのに、

家人に起こされた。

「肩が痛いから、代わりに、草取りに行ってきてくれ。」

来週、町内会の秋祭りがあり、

今日はその準備で、

朝9時から

会場の公園の草取りなどをする予定だったのだ。

「顔だけ出して、すぐに帰ってくればいい。」

など、家人はのんきなことを言うが、

去年の町会長がそうはいかないだろう。

完璧に遅刻して、会場に赴いたところ、

草取りそのものは、そろそろ終盤、だった。

しかし、祭りの大看板の張り替えをすることになり、

その作業。

町内のお習字の先生のところに

習いに行っている子どもが書いた

長さ1.5メートルくらいの大作の

「秋まつり」という字を張り替えるのだ。

これは、祭りの当日、会場入り口に飾られる。

家に戻ると、家人は、なんと寝ている。

私を追い出しておいて、飲んだのかも、

と思いつつ、

午後の町内の子供会のハロウィンに備え、

お菓子の準備。

今では、どのスーパーでも

ハロウィン関係のものが置いてあるが、

我が家が初めてハロウィンに関わった5年前には、

世の中で、ハロウィンはそれほど幅を利かせておらず、

近所ではハロウィングッズは手に入らなかった。

私たちが引っ越してくる前から、

この町内の子供会はハロウィンをやっている。

たぶん、アメリカ人一家や、

ご主人がアメリカ人の人などがいたせいだろう。

せっかく準備はしたけれど、

今日は午後、別件で出かけたので

子どもたちの扮装は見損なった。

で、晩ご飯を食べ終わり、

デザートにラフランスを剥いていたら

娘から電話。

あれやこれやで疲れた様子。

こちらに帰りたいけど、

明日も大学に行かなければいけないから、

やっぱり帰れない、

とかぼやいている。

疲れている原因のもっとも大きなものは

共依存の彼氏ともめたことのようなので、

とりあえず、ふーん、と話を聞いていたのだが、

だんだん、話が堂々巡りになったり、

情緒不安定な様子が伝わってくる。

帰ろうと思えば、電車で1時間ほどで帰ってこられるのに、

その決心がつかない様子。

情緒不安定はどんどん進むし、

仕方ないので「帰ってくれば」。

すると、

「迎えに来てくれる?」

高速道路を使えば、1時間ほどで行けるが、

晩御飯を食べたあとだし、

疲れているし、めんどくさい。

しかし、娘が、よろしくない状態にあるのは確か。

せっかくよくなった適応障害が再発するのでは・・

と、親バカな私は妥協してしまった。

電車で途中の駅まで迎えに行くことにする。

それで、駅に向かうべく、車のエンジンをかけたら、

ふと、元気が出てきた。

疲れている時、実のところ、

知らない人たちと空間を共有する電車はしんどい。

このまま、車で行ってしまおう。

というわけで、家人が退職金でご購入の

家人人生初の新車、プリウス乗っ取って、

姫様救出に行ってきた。

家人は、夜の高速運転に不安げな顔であったが、

脳がやられているあなたが運転するより

ずっと安全なはずですよ~

わが愛車のekワゴンには申し訳ないけど、

さすがに乗り心地が全然違う。

普段乗りつけていない車なのに、

すぐにいつも乗っている車のように扱えるし、

加速は早いし、高速での安定感はあるし、

ナビもETCもあると便利。

助手席で、彼氏との共依存ぶりを報告する娘も、

「え?これで100キロ出てるの?

すごい、ものすごくさりげないんだけど。」

と驚いていた。

それにしても、

私がアラノンに通い始め、

自分のことを何とかしようと頑張り始めると、

娘と彼氏の共依存にも影響があるのだろうか。

まぁ、2人がどうなるか、

というか、娘がその共依存関係から抜けられるかどうかは、

私には「変えられないもの」。

娘が愚痴を言いたいのなら、

私は聞くけど、

そこまでしかできない。

相手が変わることを待ち望んでいる娘に、

前に一度、ACアラノンに行けば、と言ってみたけど、

拒否されてしまったので、

それ以上のことも言わない。

やれやれ、

共依存の連鎖は、どこまで続くのやら despair

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