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10月11日

新しいスーツを着た娘を見た家人は、

「この前、帰ってきたときに採寸したのか?」と聞く。

まさか、いくら親バカでもそんなことしません。

「吊るし」だけれど、

幸い誂えたみたいにぴったりだっただけです。

それで、さっそうと就活イベントに出かけた娘だったが、

主催者側のサイトの問題と、

彼女自身の詰めの甘さが重なって、

結局、聞きたかった講演が聞けなかったと

電話があった。

心配症のくせに、詰めが甘い・・

別に、就職のチャンスを逸したわけでもないから

深刻に考える必要もないと思うが、

娘が落ち込んでいるのは

やはり気にかかる。

ま、しかたなかろう。

そうそう、家人が酒を飲み続けるのもしかたない。

とは思いつつ、なぜなんだ、

なぜ私はこんなことに巻き込まれているんだ?

と、やはり思ってしまう。

いったい、私はどうして、

こんな罰を受けなきゃいけないんだろう、

と思ってしまうのだ。

そりゃぁ、私はこれまで一つも悪いことをしてなくて

聖人君子なんですとは言えないけれど、

それにしても、

こんな思いで暮らさなければいけない理由も

ないんじゃないの?

と思ってしまう。

人がアルコールに囚われ、

依存症になってしまうことが、

私にはどうしようもないことだとしても、

でも、なんで、私の身に、

アル症の問題が降りかかってきてしまったのだろう?

という気持ちになる。

アラノンの本を読んでいると、

もともと、自分自身を肯定するのがうまくはないのに、

ますます自分が肯定できない気分になってくる。

どうしてこういうことになったのか、

ひょっとして、前世の悪行の報いか?

と思っていても、元気は出ないので、

風呂に入って

アラノンの本読んで寝てしまおう。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

これはあくまで、私自身の話ですけど、
先週アラノンのスポンサーに言われたことです。
もし、100人の男が部屋にいて、あなたはまっすぐに一人の男を選ぶだろう。他に目もくれずに。そしてその男はまず間違いなく何かの依存を抱えて生きているはずだって。

つまり、巻き込まれるのでもなく、罠にかかるのでもなく、自分自身の病んだ心が、そういう状態に身を置くことを選んでしまうのだと。自分自身の心が健康にならない限り、この罠を抜け出しても、また次の罠に飛び込んでしまうだろうと。

つまり誰かが依存症なのは、私にはどうしようもないことだとしても、その誰かに寄り添ってしまうのはやはり、自分自身の責任なんだと思います。アラノンにつながって半年ですが、やっとスポンサーを見つけて12のステップの勉強を始める気になりました。そして「私にはまだこれができる自信はない、でも少なくともこれが何かということがわかればいい」というくらいの気持ちですすめばいいと思っています。

えらそうに、すみません。
でも今日の日記に書かれていたお気持ち、私自身がいつも感じていることなので、思わずコメントしてしまいました。

投稿: 和 | 2009年10月12日 (月) 02時21分

和さん コメント、ありがとうございます。
そうでした。他の誰でもない、私自身の心なんですよね。
「自分自身の病んだ心が、そういう状態に身を置くことを選んでしまう。」・・・他の人の例についてなら、すぐに合点がいくのに、どうして自分のことはこんなに飲み込みが悪いんでしょう。
共依存症も、否認の病ですね。ものすごく屈折しているみたいな気がするし。(なにしろ、自分じゃ、まだよくわからない)
アラノンに行くようになってからの方が、なんだか自分が混乱することが増えたようなきがします。それは、きっと以前はものすごく頑なに自分の状態を認めずにいたからなのかもしれません。
でも、少しずつだけれど、私も病を癒したいと願うようになっているのだと思います。最初に「共依存」に関する本を手にしたときは、ほんとうに読み進められませんでした。でも、今なら、とにかく読めるし、読み終わった本については、読み返すこともできるようになりました。
いつか、アラノンの本に書いてあることが、ふっと自分の中に落ちる日が来るんだと思いたいです。

投稿: kurulimpa | 2009年10月12日 (月) 21時49分

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