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2009年9月

どっちが貢献?

黒だけ印刷してくれないプリンター。

友人のところも、

同じメーカーのもので同じ症状が出たそうだ。

幸いなことに、買って1年以内だったので、

新品と交換、となった模様。

ところが、私の場合、

ご購入が去年の5月。

以前のプリンターは、違うメーカーのものだが、

一度も修理せずに、

10年以上働いてくれたので、

プリンターは壊れるものではないと思って、

延長保証も付けなかった。

7980円で購入したプリンターを

どーして、

7350円出して修理しなければならないのだろう?

量販店に行って、少しお金を足せば、

新品のプリンターが買えそうではないか。

そうすると、このプリンターは廃品回収?

それで、再利用/リサイクルされるのか?

あるいは、やはり、修理に出して、

まだまだ使う方が二酸化炭素排出削減に

貢献するのか?

プリンターを運搬する宅配便の車の排気ガス、

修理にかかわる過程で排出される二酸化炭素・・・

う~ん、どっちがエコなんだろう?

早い話、あんまり簡単に壊れるような製品を

作らないでくれるのが一番エコではないだろうか。

というか、要するに、私の場合、

「安物買いの銭失い」ってことか。

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管轄外

ボーイフレンドとけんかした、

と娘が電話してくる。

相手がどうしたから自分はこうしたけど、

それでいいよね、

と確認してくるのだ。

いやいや、お嬢さん、それは、

母の管轄外よ。

でも、自分の行為に確証がないんだそうだ。

ん~、痛いなぁ。

いちいち、私の承認が必要なのね。

そのくせ、

「ACアラノンに行けば?」

というアドバイスは却下。

まぁ、そのアドバイスに従えば従ったで、

私としても、複雑な気持ちではあるけれど。

娘よ。

母は、自分のことで手一杯。

君も、命を落とす危険のない限り、

とりあえず、母をシカトしてもいいんだよ。

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湿度計

今日も、実家に行った。

途中、電気製品量販店に行って、

湿度計を買う。

母は、自己免疫疾患とかで、

目の角膜が弱ってきている。

去年は角膜に穴があいて、

あわや茶目が中から出てしまいそう、

という事態になった。

緊急入院・手術で失明はせずに済んだが、

自己免疫疾患なのだから、

それにつきあっていくしかないのだろうに、

心のどこかで「そのうち、前の状態に戻れる」

と思っている節がある。

先日、ちょっと湿度が低かった日、

母の眼はとても痛んだのだそうだ。

また、穴が開いたらどうしよう、

と、母も思ったらしい。

目薬を差しても楽にならず、

軟膏を付けて、大事をとったそうだ。

それで、湿度計があれば、

痛くなる前に、目の保護をするようにした方がいいのでは、、

という話になり、

湿度計の購入となったのだ。

実家のすぐ近所には、湿度計を扱っている店がなさそう、

というので、

ネットで注文しようかと思ったのだが、

母が

「インターネットで買い物をしてもらうと、

 かえって気を使う。」

というので、(やや理解に苦しむ説明なのだが)

店で購入していくことになったのだった。

デジタル表示で、温度と時刻も出るので、

母はそれなりに気に入った様子であった。

母は、自分でも認めているのだが、

体からのサインを軽視してしまう傾向がある。

(そして、実は、その気質、私も引き継いでいる)

それでも、

「この年まで、そうやってきたんだから、

 今更変えられない」

なんて言う。

自分で気が付いているのだから、

もっともっと、自分を大切にしたらいいのに、

と思うのに、

薄くてかたい布団で寝ている。

そのくせ、押入れには使わない客布団が入っている。

時代が経済の高度成長期だったとはいえ、

父と一緒に小さい会社を営むのは

たいへんだったと思う。

娘たち2人を大学に行かせ、

(そのうち一人は浪人も人並み以上にしたし)

そこそこ老後の心配のないくらいに蓄財したのは、

母の倹約の精神があったからだとは思う。

しかし、なぜ、自分のために、

もう少し、ちゃんとお金を使わないのだろう。

母が大切にしていないのは、

自分の体からのサインだけではない。

自分の心からのサインも、

やっぱり軽んじている。

母の言うように、

「この年までこれできたのだから、

 これでいい」でいいのだろうか。

この年までそれできても、

最後の何年かは

もう少し、自分をいつくしんで暮らしても

いいのじゃなかろうか、

と思うが、

まぁ、それは、

私が立ち入れる領域の話ではないのだろう。

子どもとしては、

母が自分の弱さを認めて、

もっと楽な気持ちで暮らしてくれるといいな、

と願ってはいるのだけれど。

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プリンター

プリンター、黒のインクが無くなったので交換したのだが、

どーしてか、黒だけでない。

念のため、もうひとつ新しいのと取り換えてみたが、

やはりだめ。

インクの表示は出るのに、

どういうことじゃ!

もうクリーニング、5回はしたから、

月曜日にコールセンターに電話しなくては。

月曜日に資料を準備しなければならないが、

カラーで印刷してコピーすればいいか・・

やれやれ。

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かもめ~る

動物病院から来ていたハガキ、

ワクチンの追加接種時期のお知らせだったのだが、

「かもめ~る」だった。

くじ、当たっているかなぁ、と思って調べてみたが、

やはり、当たっていなかった。

それで、思い出した。

今年は、年賀状の番号のチェックもしていない!

1月は、家人の入院で手一杯で、

年賀状の当選番号発表があった、

というニュースも見ていない。

どうせ、切手シートぐらいしか当たっていないとは思うものの、

なんだか、損した気分。

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平行線

シルバーウィークは、のんびりモードながら、

家人のウッドデッキ修理の手伝いと

お稽古事とアラノンで終わった。

アラノンは、今度、近くに新しいグループができることになり、

そのミーティング日がこれまでのところと重なるので、

今までの会場には、今回は最後の参加。

みなさん、お世話になりました。

何年前からだろう、

連休明け、

家人は熱っぽい、と出勤できなくなることが多かった。

今、思えば、

それはまさにアルコール依存症の症状。

私は、てっきり、職場の雰囲気が悪化したための

出勤拒否とか、

男の更年期、とか思っていたけど、

根本的な問題は、

アルコールだったというわけだ。

今回、シルバーウィーク明け、

問題なく出勤。

そういえば、今年はゴールデンウィーク明けも、

ちゃんと出勤したっけ。

今のところ、「節酒」が功を成している、

と本人は思っているんだろう。

で、私や医者は、

こんな生活、そのうち破綻する、と思っている。

なんだか、すごく変な感じ。

ちょっと話は飛ぶのだが、

中学の時、数学の幾何の時間に、

「平行線は交わらない」と習った時のことを思い出した。

そのとき、ある男子が

「平行に見える2本の線をずーっと延ばしたら、

 どこかで交わっているかもしれない」

と言ったので、

教科書や先生の言うこと丸のみの私は、

「だって、交わらないっていうことで話を進めるんだから、

 交わるわけないじゃん。」

と思ったのだった。

しかし、今から思えば、彼の言ったことも一理ある。

どのポイントから物事を見るかで、

ものの見え方は違ってくる、

といっていた同級生君は

数学のテストで点だけ取れていた私より

ずっと賢かったのだ。

家人が「節酒続行」している今、

ずっと後になって振り返れば、

これは、

ほんのひと時のことになってしまうのかもしれない、

と思うと、

なんだか複雑な心持になる。

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もしも、お絵かき上手なら・・

昨夜、布団に入ってから寝付くまでの間、

ふと、「手を離す」という言葉が浮かんだ。

自分では、まだ、自分が相手を束縛しようとしていた、

というはっきりした自覚が持てずにいる。

しかし、自分と娘の関係、

自分と母の関係、

とか振り返ると、

なんぞ、不健全な形が

私たち夫婦の間に成立しているのは

間違いないに違いない。

だから、手を離せ、

と言われても、

もともとそんなに抱え込んでいないのに、

という気もしてしまう。

そう思っていたら、

ふっと、

ひとつの光景が目に浮かんだ。

家人が、胎児のように膝を抱えて体を丸めている。

それを、ちょうど今、

私が両手を開いてパッと解き放った、

という光景。

家人の顔は、

穏やかに眠っている時の家人の顔。

佐野洋子さんタッチで絵にしたい感じ。

パッと解き放つイメージを持つ、

ということは、

やっぱり今は抱え込んでいるんだろうか。

そこがわからないところが、

ビミョーである。

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ネコと遊ぶ

最近、母に電話をするときは、

左手に子機、

右手にだいぶ年季の入ったマタタビの枝を持ち、

部屋の隅に座り込んで

ネコをからかいながら

母と話をしている。

以前は、メールのチェックをしながら、とか

フリーセルしながら、とか

の「ながら電話」をしていたのだが、

ネコもかまいながら電話した方が

何となく自分の気持ちが柔らかくなるような気がして、

実のところ、母にもネコにも中途半端な態度での

電話タイムになっている。

今年、14歳になるネコは、

近頃全然外には出ず、

私の部屋の隅っこで寝ていることが多い。

トイレが汚れたり(ま、ご本猫が汚すのだけれど)、

吐いてしまったりしたときは、

ニャゴニャゴ大騒ぎで

私を呼びつける。

ねずみ年のせいか、猫が嫌いな家人は、

ネコが鳴くとうるさがるが、

ネコも家人に対しては警戒心があり、

あまり近づかない。

でも、私が一緒だと、家人の部屋に向かって

「フン」という表情をしたりするから、おかしい。

母の話を聞きながら、

カラカラのマタタビの枝で撫で撫でしてみたり、

枝を転がし、ネコパンチを見たりして喜んでいる。

ご老体には、猫じゃらしの刺激は強すぎるのか、

最近は、猫じゃらしでからかっても、

「そんなしんどい遊びはできません」

という態度だったのが、

マタタビの枝なら、そこそこ反応してくれる。

あ、ごめん、昨日は敬老の日だった。

腎臓病猫用のパウチの餌、買ってあったのに、

あげるの忘れてしまった。

明日、あげよう。

腎臓病と判明して、

もう1年以上、猫缶あげていないから、

喜んでくれるだろうか。

点滴にも連れて行かなくちゃ。

いつかは、いなくなっちゃうだろうけど、

でも、できるだけ長く、一緒に居たい。

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ABBAの歌

映画『MANMA MIA!』のサントラ盤を

毎日車を運転しながら聴いているので、

歌がうまくない私でも、

歌詞を見ないでも『MANMA MIA』は

歌えるようになってきた。

ところで、

ABBAが歌っている歌詞と

サントラ盤の歌詞は違っている。

『MANMA MIA』についていえば、

出だしの文の時制から違う。

ABBAはI've been cheated by you と現在完了、

サントラ盤はI was cheated by youと過去形。

やはり、ABBAの曲からイメージを得て

その曲を使っていても、

歌詞は、内容に合わせたものになっている、

ということらしい。

『MANMA MIA』についていえば、、

サントラ盤の方の内容は、

昔、一時の気持ちで別れちゃったけど

別れなきゃよかったわ、

という感じなのに対し、

ABBAの歌の方は、

まだ別れたばかりで、実は未練たっぷり、

という感じ。

それから『Money, Money, Money』については、

サントラ盤が、

有名な♪Money, money, money♪の後、

 Must be funny in a rich man's world.とか

 Always sunny in a rich man's world.とか

なっているのに対し、

ABBAの方は、

 Must be funny in the rich man's world.とか

 Always sunny in the rich man's world.とか

になっている。

最後の、

 If I had a littlle money

  It's a rich man's world.は

どちらも「a」なんだけれど・・

このaとtheの違いだけで、

試験問題が作れるんじゃない?

私は答えられませんけど。

それにしても、

ABBAとサントラ盤では

やはり雰囲気が違う。

ABBAのなんというか、

ガラス細工のような声もいいのだけれど、

Merly Streepたちのおばさんパワーに

おばさんとしては元気づけられるのだ。

それに、映画の本編ではカットされているけれど、

『The Name Of The Game』は、

私はさらっと歌っているABBAより

「このゲームの名は何?」と力強く尋ねる

サントラ盤のAmanda Seyfriedの方がいいと思う。

やはり、『MANMA MIA!』は

中年のための映画なのでありましょう。

『When All Is Said AND Done』も

Pierce Bronsnanの歌い方がはらはらさせはするけれど、

中年の心に響くし。

まぁ、ABBAの中での男女関係のいきさつを知って

ビデオクリップを見ると、

音楽で結ばれた人間関係が壊れても、

楽曲は作られて、

でも、ビデオクリップは別々に撮影?

と微妙な気持ちがしてくるし。

ところで、インターネットでABBAの曲を探していたら、

レゴでABBAのメンバーを作って

撮影してあるビデオがあった。

同じ人かどうかわからないけれど、

映画の『MANMA MIA!』も

レゴを動かしてザクッと撮影していた。

非常にばかばかしくも、

おかしい。

私なんて、おとなしいファンだわ。

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まとも

昨夜、寝るとき、ふと諍いの会話を振り返った。

なんで、あんな会話になったんだろう。

やっぱり、どっちもどっち、には違いない。

で、別バージョンを考えた。

家人「なんだ、使い捨てマスクを買ったのか。」

 私「世の中に、出回っているときに買っておくといいかな、

    と思ってさ。」

家人「なにも、新しいのを買わなくても、

   前に、自分が苦労して手に入れたのが

   まだあるじゃないか。」

 私「あ、ごめん、あれがまだあったね。

    でも、マスクが多めにあったほうが、

    これからどんな病気が流行るか分からないし、

    安心じゃない。」

家人「あのとき、マスクが出回ってなくて、

   手に入れるのに、ほんとうに苦労したんだぞ。」

 私「ほんとうに、ありがとう。

   マスク、日本から送ってもらって、

   とてもうれしかった。

   ただ、あのマスクは、性能がいいから、

   今の時点で使うのはもったいない気もするんだ。

   状況に合わせて、両方のマスクを使い分ければ

   とてもいいと思わない?」

とかいう会話ができたら、よかったのかも?

確かにね、いろいろ暴走しかねない私に

よく付き合ってくれている家人なのかもしれない。

なのに、私は、まだ足りない、

もっといろいろしてしれたらいいのに、

と思っている我儘さんのかもしれない。

でも、ご飯を食べるときに「いただきます」も言ったり、

もちろん、「ごちそうさま」も言ったりするのを期待することが、

そんなに高望みなことか?

とはいえ、

私はやっぱり尋常を逸脱しているところがあるらしい、

というのを

今日、ふっと思い出した。

思い出す、というのも変だけれど、

私には確かに欠乏感がいつもあるということを

改めて思い出したのだ。

私の持つ要素と

家人の持っている要素とが

互いを引き合い、

それらが絡まって、

今の状況になっているんだな、

と、納得できてしまったのだ。

私は、友人から、

人を見抜く力がある、と言われているけれど、

それは、私に観察眼があるからではない。

私自身が、よろしくない諸々を抱えているから、

たぶん、よろしくない面々の匂いが分かってしまうんだろう。

よろしくない面々をかぎわけながら、

まっとうに、少しは世のため人のため、

でも何より自分のために生きられるようにならないと

いけないってことなのかな、

と例によって、すぐに「正解」を求めたがる。

まぁ、頭でわかるというのと、

ストンと私の中にそのことが落ちる、

というのは別物なのですけどね。

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マスク

インフルエンザがどうなるかわからないので、

世の中で手に入るときに買っておこうと、

使い捨てマスクを生協で購入した。

でも、食材などとは一緒ではなく、

宅配便で届いた。

間の悪いことに、

私の留守中に届いて、

家人が受け取った。

家人は、近頃、時間があるせいか、

以前はそんなこともなかったのに、

届いたものに、それなりに注意を払う。

今回も、シールに書いてある「マスク」という文字を

ちゃんとと確認したらしく、

私が帰宅すると

「マスクを注文したのか」と聞くので

「うん」と返事して、

その会話はすぐに終わった。

それから、3時間ほどして、

家人が「今日は非常にうれしかった」と嫌味な話し方を始めた。

用心しながら、「何が?」と聞くと、

「マスク」と言う。

家人いわく、以前世の中でマスクが不足した時に

とても苦労して手に入れたマスクがまだ家にあるのに、

なぜ新しく買ったのか、というのである。

そういえば、忘れていたけど、

家人の部屋に箱に入れたままのマスクがある。

使い捨てだけれど、

ちょっと大仰な感じがするマスク。

そのマスクの存在を忘れていたのは

確かに私も悪かったと思う。

しかし、マスクなんて腐るわけじゃなし、

多めにストックがあったって

いいじゃないか、と思うのに。

それに、流行っているとはいえ、

まだマスクしている人の方が少ないようなときに

ちょっとひとごみ、といったところに行くには、

家人が準備してくれたマスクは

烏天狗みたいになるので、

やや恥ずかしかったりもするのだ。

しかし、一番まずかったのは、

私が、売り言葉に買い言葉、

になってしまい、

家人の飲酒についてプッツンしてしまったこと。

私が仕事で出かけていた先で病気が発生して、

家人が心配して、

苦労して性能のいいマスクを手に入れてやったのに、

使いもしないで別のマスクを買うなんて

どういうことだ、

と怒っている家人を見て、

ああ、こいつはまた、これを理由に酒を飲むのか、

と思ったら、

無性に腹が立った。

何が、偉そうに、

自分だけが人の心配をしているようなこと言って、

自分は、毎日、酒を飲み続けて、

家族や周りの人たちを心配させているのではないか。

あんたの心配に比べたら、

私たちの心配は取るに足らないことだとでも言うのか。

家人の前で悔しくて泣いてしまった。

本には書いてある。

「アルコール依存症の人に、

 酒を飲まないように言うのは無駄だし、

 逆に飲む口実を与えることになる。」

うわぁ、でも、言いたくなることもあるんです。

今の私には、家族の飲酒をすっかりスルーすることは

無理です。

それから、本にはこんなことも書いてある。

「アルコール依存症患者に同情しましょう。」

ふーん、アルコール依存症患者って、

同情されてうれしいんでしょうか?

同情するなら、酒をくれ!

って言うんじゃないないですか?

私なりに、自分自身と向かい合って、

とにかく、私自身が平安に過ごせるよう

努力しているつもりだけれど、

でも、まだ、できない。

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シルバーウィーク

今朝は、早起きして、炊き込みご飯の素使って、

カニご飯を炊いた。

鮭の粕漬け焼いて、厚揚げとナスとシシトウで煮物作って、

玉子焼き焼いて、冷凍のコロッケあげて、サラダ作って、

母のところに出かけた。

一足先に、敬老の日、

私っていい子でしょう?

というわけでもないけれど、

たまたま今日実家に行くことになっていて、

生協で炊き込みご飯の素を買ったから、

家人と2人でカニご飯食べてもつまらないので、

久しぶりに3人分のお弁当を作ってみた、

というのがコトの真相。

それでも、母はけっこう喜んでくれた。

冷凍庫と冷蔵庫の整理ができて

母にも喜ばれて

まんざらでもありません。 ふふふ。 note

母も、昔に比べると

人の好意を

素直に受け入れられるようになったものだ、

と思う。

あすからシルバーウィークのせいか、

今日の駅は

ガラガラ旅行鞄を引っ張っている人たちがたくさんいた。

そういえば、

去年の今日の今頃は、

私たち夫婦は、

カナダに向かう飛行機の中にいたんだなぁ。

カナダでは日本でのように

自由にお酒が飲めなくて

家人が禁断症状になり、

予定を早めて帰国したんだった。

あのとき、カナダのホテルで

本人も「これはアルコールのせいだと思う。」

と認めたのだった。

帰国した私は、ネットで、

「幻聴や幻覚があることがかなりよろしくない状態だ」

というのを読んだけれど、

本人が病気を認識できたんだから、

きっと大丈夫、なんて思っていた。

私の精神科の医者は、

「カナダでお酒の量が減ったということはなかった?」

と何度も確認してくれたのに、

家人の酒量をきっちりとは把握していなかった私は、

「そんなことないと思います。」

なんて答えたりしていたのだ。

去年、予定通り旅行を続けていたら、

もっと凄いことが起きて、

家人はカナダで病院に入ったんだろうか?

あるいは、帰国して、すぐに専門医に診てもらうよう

頑張ればよかったんだろうか?

過ぎたことをあれこれ考えても仕方ないけれど、

1年前の自分は、

娘に再会できるうれしさと

旅行への期待と家人へのかすかな不安を胸に

飛行機の中で寝ていたんだなぁ、

と思うと、

1年前の自分がいとしくなる。

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久しぶりのプール

この前、水中ウォーキングに行ったのはいつだったろう?

夏は仕事も忙しかったし、

子どもがたくさん来ていそうだから、と

少なくとも2カ月近く行っていない。

久しぶりに、水中ウォーキングする気になり、

出かけた。

公園の駐車場で車を降りたとき、

まだ蝉の声も聞こえるけれど、

気配はすっかり秋の夕方。

それにしては、

何だか、私の気持ちが軽い。

「秋」、「夕方」、とくれば、

さびしい気持ちでいっぱいになるのが

これまでの私であったのに、

さびしくは思うものの、

そのさびしさと一緒に

いつも私をせきたてていた焦燥感が

なぜか、ない。

30分ほど水中ウォーキングをする。

整形外科の医者が

「平泳ぎ以外なら泳いでもいいんだよ」

と言っていたのを思い出して、

何年かぶりで泳いでみる。

へたっくそなクロールで

とりあえず、25メートル泳げたけれど、

はぁはぁ言ってしまった。

プールから出て建物の外に出ても、

依然として

「さみしいけれど、追われる感じがしない」

という気分に変わりはなし。

せっかくだから、少し、公園を散歩して帰ることにする。

この公園を散歩するのも久しぶりのこと。

娘が小さい頃いっしょにチャレンジしてみたアスレチックやら

池の周りのウォーキング道路やら。

 

090917_17110001

これは、多目的広場

よく考えてみたら、

こんなにのんびりした気分で

公園をひとりで散策するなんて

生まれて初めてかもしれない。

子どもや誰かと一緒のときは、

それはそれで楽しかったし、

今までも、ひとりでどこかに出かけて

それなりに自分の時間を過ごしたりしていたけれど、

ひとりのとき、心の底では

「こんなにのんびりしていてはいけないのでは?」

という声が

いつもかすかに聞こえていたような気がする。

今日は、その声が聞こえない。

なんでだろう?

理由はわからない。

理由はわからないけれど、

そんな時間が過ごせて、

うれしかった。

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STOP ME !

自分では自然にふるまったことなのに、

kurulimpaは生真面目で、

どう反応していいかわからない、

と言われたりすることがある。

自分の表現の仕方が悪かったのかな?

と思ったりもするけれど、

自分はそんなに場の空気が読めないのか、

と、少し悩ましい。

チームを組んで何かに取り組んでいるとき、

自分の担当を自分の発想で進めていると、

どうも自分は暴走しているのではないか、

と不安になる。

進捗状況について連絡します、

と言われたのに連絡がないと、

自分は一緒に作業を進めるのに相応しくない、

と思われたのではないか

と心配になる。

私って、

人からの評価を気にしていないつもりでいたけど、

実は、ものすごく人の目が気になるのかも。

不安なときは、

フリーセルやスパイダーソリティアで負けると

勝つまでゲームを続けてしまう。

早く寝ないと、明日も寝坊。

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アフリカのコーヒー

『Out of Africa』、ヒロインの人生は、

ほんとうに波乱万丈としかいいようがないけれど、

DVDで順番をバラバラに何度も観ていると、

波乱万丈にもマヒしてしまう感じ。

ただ、アフリカの景色は何度見てもきれい。

本当のアフリカを全然知らないからかもしれないけれど・・

それで、ふと、唐突に

『プラダを着た悪魔』のDVDのボーナスシーンを思い出した。

雇われたばかりのヒロイン、アンドレアが寝坊して

上司ミランダのためにスタバのコーヒー買って駆けつける。

メリル・ストリープ扮するミランダは

ミーティングを前に

コーヒーがないのにいら立っている。

「私のコーヒーはどこ?」と言った後、

「彼女はもうやめたの?」とか「彼女、死んだの?」とか

同じシーンを何種類かせりふを違えて撮影したらしく、

使われなかったものが

ボーナスに入っていた。

その中の一つに

「アフリカにコーヒーを摘みに行ったの?」

というのがあった。

これを見たとき、

英語でも、

私たちも注文したものがなかなか出てこないとき、

「今、コメといでいるんだ」

「いや、稲刈りしているんじゃない?」

などと言うのと同じようなこと言うんだ、と思った。

ただ、どうして、ブラジルでなくて

アフリカなんだろう、とも思ったのだった。

『Out of Africa』で、その謎が解けた。

メリル・ストリープにしたら、

コーヒー園といえば、

『Out of Africa』でヒロインが経営し、

最後に火事で失ってしまったコーヒー農園だろう。

だから、ブラジルではなくてアフリカなのだ。

まぁ、ファンというのは、

こんな小さな発見でもうれしく思えてしまうものなのね happy01

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低糖質名無し料理

今日、自宅近くの大型書店に寄ったら、

入口近くの流行り/流行らせようとしている本コーナーに

大量に『主食を抜けば糖尿病は良くなる』が

並んでいた。

え?

いつのまにか、低糖質ダイエットが流行りになっていたの?

とは思えないが、

世間の注目を集め始めたのかも。

近頃、私は、昼間はご飯やパンをそれなりに食べているし、

お菓子もしっかり楽しんでいる。

今日も、友人たちとお寿司のランチを食べた。 happy01

でも、体重は、だいたい一定している。

私の身長なら、もう少し少なくてもいい気もするけれど、

オバさんだし、

骨粗しょう症の予防には

少し骨に負荷をかけておいた方がいい、

という話もあるので、

今の状態を保つようにしている。

LH比が高めなので

その原因の解明が当面の課題だけれど、

体がしんどいということはない。

それになにより、

毎食「あーお腹すいた!」と食事をし、

ドカ喰いはしない生活なので、

よろしいのではないか、と思っている。

そういえば、料理用の酒を買わなくなって久しい。

2月の頭に家人が退院してくる前に、

家に残っていた料理用の酒、

鍋に入れて火にかけ、

蒸発してくるアルコールに

チャッカマンで火をつけて

アルコール分を飛ばした。

冷ました、アルコールの抜けた料理酒を

瓶に戻して、

冷蔵庫に入れ、

それをたまに使っているので

まだ少しある。

低糖質ダイエットでも酒はいけないし、

酒を使わなくても、

そこそこ美味しく食べられるから、

私の料理から酒は消えることになるのかも。

さて、夕方、本屋から家に戻り、

届いていた生協の食材を冷蔵庫/冷凍庫にしまいながら

今夜の献立をテキトーに考える。

豚ひき肉が来て、ナスが残っているから、

マーボーナスにしようか、と思うが、

シシトウもまだ残っているのに、

新しく100g届いたので、

シシトウ入りのマーボーナスにしようと、

ひき肉を炒り始める。

(油なしで炒っておいて、半分はバラ凍結する)

で、野菜室に甘長とうがらしが残っているのも思い出し、

豆板醤はやめにして

甘長とうがらしで辛味をつけることに決定。

ついでにスープも淡口だしを使って和風にしちゃおう。

最後に、これも残っていたにらを加え、

とろみ付けには、乾煎りしてあるおからを使って

マーボーナス転じて、名無しの料理の出来上がり

私って、あり合わせ料理の天才!

と自画自賛したけど、

ほんとは、豚のひき肉が秀逸だから、

どうしてもおいしくなるのだ思う。

手抜きの極意は、

手ごろな価格の美味しい食材の入手に尽きるかも。

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世界征服

私は、それほど、「自分が、自分が!」というタイプではない、

と思っていた。

自分のやり方を

相手にもするよう要求するタイプではなく、

相手の自主性を重んじる人間だと思っていた。

家人がアルコール依存症と発覚、

となると、連れ合いの私は共依存なんだってさ、

というわけで、

共依存に関する本を読んでいると、

「相手をコントロールしないこと」とある。

私が共依存だ、ということは、

つまり、私が相手をコントロールしようとしている、

ということになる。

そんなことない!

と思う一方、

確かに、自分は、

相手の考え方に同意できなかったりしたとき、

自分の書いたシナリオ通り、

とは考えてはいないが、

結果として自分が思っている方向に、

相手をもっていくことを企む傾向があることも

認めざるを得なかった。

大して器用でもないのに、

なんでもかんでも自分でやろうとして

アップアップしているくせに、

他人に任せる、というのが

うまくできないし。

目の前の信号が赤に変わろうとしているのも、

自分が念じれば

赤にはならないような気がしたりする。

そうか。

私って、けっこう、世界を支配したいんだ。

虐げられているように思われている共依存者たちの

秘かな夢は

世界征服なのかも。

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トイプードル

先日、我が家のネコを点滴に連れて行った。

ついでに、血液検査とワクチン接種。

点滴の間隔が少し空いたせいか、

血液検査の結果が前回より少し悪くなっていた。

もう少し、マメに点滴に来るよう言われる。

ワクチンも、体への負担を考慮して

7種混合ではなく3種混合を接種した。

血液検査の結果を待っているとき、

待合室には、私たちのほかに

小さなトイプードルを抱いた女性と

薬の処方を待っている女性がいた。

薬を待っている方の女性が

トイブトールを見て、そのかわいらしさにメロメロ。

「ほんとうにぬいぐるみみたいね。」

飼い主の女性が

「抱いてみます?1.8キロしかないんですよ。」

と勧める。

いわれた女性は大喜びで抱いてみている。

「かわいいねぇ。」

飼い主の女性は

「目がボタンみたいに見えるんですよ。」

などとも言う。

小さいワンコ。

まだ子どもだから、よけいかわいらしい。

でも、会話を聞いていて、

何だか微妙な気分。

飼い主にとって、

そのワンコはかわいさだけの存在なのかしら?

動くぬいぐるみ、みたいな感覚。

ワンコが年をとっても、

そんな風に見せびらかすかしら?

トイプードル、という名前だから仕方ないのかな。

プイトードルて名前だったら、

ぬいぐるみにならずに済んだかも、

というのは、単なる言葉遊びだけれど、

「私の持ち物」という雰囲気で

ワンコを抱いて帰っていった女性に

やや憤慨してしまった私であった。

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メモ

精神科の受診日、薬をもらって車に乗って、

「あ、あのこというの忘れた。」と気がつくことが

何回かあった。

それで、

これこれしたときにこんなだった、

といったことを手帳にメモしておくようになった。

すると、ついでに

医者に言われたことの方も、

メモするようになった。

別に、言われたことを

すっかり忘れたりはしないけれど、

思い出さないことはけっこうあるので、

手帳にメモしておくと、

何かの折に見て、

そうだなぁ、と反省する。

家人が、

アルコール依存症で入院して退院した後、

私が家人の行動について、「特に心配ない」

と過小評価したら、

「(家人の行動で)心配なことは、ちゃんとメモしておいて

  (家人の)精神科に聞きなさい。」

と諌められたので、

家人の行動もメモするようになった。

昨日、家人の精神科の受診を待つ間、

手帳のメモを見た。

 「皮膚のあれがひどくなった」

 「声がかすれがち」

 「話し方に力がない」

 「足がむくんだ」

と相変わらず、好材料はない。

そんなメモの一つに、

 「録画にtry」

というのがあった。

家人は、テレビの録画の再生はできるが、

録画予約ができなくて、

いつも頼まれて私が予約するのだ。

これも、世話の焼きすぎ、ということになるんだろうか。

先日、私が頼まれた番組予約をする際、

すでに見た番組の消去をするために、

プログラムナビを見ながら、

私が予約した覚えのない番組があり、

「これは消していい?」と確認したら、

「それは、自分が録画しようとして失敗したんだ」

と言う。

へえ、自分で予約しようとしたんだ、

と思ったので、メモをしたのだった。

ほんとに、どうして録画予約もできないんだろう、

と思うのだが、

携帯のメールも読めない人だから、

仕方ないかも。

(もちろん、携帯でメールは打てない)

やろうとしたけれど、できなかった、

というのは、

ややプラスの評価なのだろうか?

結局、そのことは、医者には言わなかったけれど、

じつのところ、そのメモを読んだ時、

なぜか、胸の奥が一瞬、熱くなり、

自分の表情が柔らかくなったのがわかった。

そんな感覚は初めてだった。

なんだろう、これは。

家人に対する肯定感が、

私の中に少しはあるっていうことだろうか。

どうも、自分の気持ちが

いまひとつわからない、

今日このごろの私である。

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重陽の集い

タヌキおやじたち撲滅のため

したたかさを磨くべく

秘かに結集したハラグレーゼ5人、

今は離ればなれになってしまったが、

年に一度、七夕じゃないけれど、

9月に顔を合わせて食事を楽しむ。

「今日は、七夕ならぬ

 『重陽の節句』だね。」

と言ったら、他の誰も「重陽の節句」を知らなくて

調子が狂う。

高校の古文の時間に習ったでしょう?

ま、重陽の節句を知っていても知らなくても、

みなさん、それぞれ、今の場所で奮闘の様子で

なにより。

特別参加の新人大学教員さんが、

最初に受け持った学生の7割の学生の単位を落とした、

と聞いて、拍手喝采。

経済状況の好不況だけが

国の将来にかかわるわけではないはず。

教育を大切にしていかなければ、

国の将来はないんだと思う。

不況の世の中で、

それぞれの家庭の教育費を支援することも

それなりに大切なことかもしれないけれど、

もっと大切なのは、

教育者が教育者として仕事をしていけることを

保障すること、だと

ハラグレーゼたちは考えている。

タヌキおやじたちは、

教育者の仮面をかぶって、

違うものを目指している。

私は、自分が秘かにタヌキとにらんだおやじたちが、

やはりタヌキであったことを確認。

自分のタヌキを見抜く力が衰えていないとわかって

一安心。

あんまり、タヌキばかりと話していると、

自分のほうが間違っているのかしら?

と思ってしまうから、

ときどき、自分の感度を確認しないといけない。

仲間と離れて、

ひとりでタヌキおやじたちと対峙していくのって、

やはり心細いけど、

今日の楽しいおしゃべりを糧に

また、せっせとお腹を黒々と磨いて

タヌキおやじたちとの駆け引きに

負けないようにしなくては。

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自分が楽なように

アルコール依存症の家族の勉強会であった人や

アラノンの人たちは

「自分が楽なようにすればいい」と言う。

怠け者の私は、

これまでのやり方を続けるのが一番楽なのでは?

と思ってしまうのだけれど・・・

これまでのやり方がほんとは歪だったから、

アルコール依存症の問題が

今、ここにある、

ということなんだとは思う。

でも、自分が楽、というのがまだわからない。

不信感をなくすには、

病気と闘っている人という点に注目して

アルコール依存者と肩を並べて

回復の道を歩くことが大切です。」

(森岡洋 『アルコール依存症

  家族に贈る「回復の法則」』)

他人の話だったら、

そうだろうな、という気がする。

でも、どうしても私は意固地になってしまう。

 だって、悪いのはあっちだもん。

 私は少しも悪くないもん。

アルコール依存症だって判明しているのに、

酒をやめようとも思わないなんて、

いくら月に一度、精神科に通っていても、

治療のスタートにも立っていないことになるのでは?

どうして、肩を並べることなんかできるっていうの?

と書いていて、

おやおやおやおや?・・・・・・

これって、つまり、

家人の病気との闘いのスタートを認めていないのは、

他でもない、

私ってことになるのかな?

そうかもしれない。

自分の中に、「許せない」という気持ちが

固まっている。

同時に、「許す」ことをしたら、

アルコール依存症者が

ますます、今の状態でかまわない、

と思うんじゃないか、と疑っている。

他人の話なら、

「アルコール依存症者を許すことで

 きっとあなたも楽になるのよ」

と思うかもしれない。

でも、自分のことだと、

頭と心の意見が一致しない。

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『Out of Africa』

返却期限がないのをいいことに、

ずっと手元にあったDVDのもう一枚、

『Out of Africa』を観る。

邦題『愛と哀しみの果て』

デンマーク女性のアフリカでの波乱万丈の日々を

描いていて、

「愛」あり「哀しみ」ありだから、

それなりに練れた題なのだろう、

とも思うけれど、

「out of」というと、出発点を表している気もするから、

なんだか、ものの見方が反対のような気もする。

さて、波乱万丈の中身については、

いろいろな解説を読んでいたし、

ライオンに鞭をふるうシーンについては

メリル・ストリープがいまだに

「ライオンがだれて迫力のあるシーンが撮れずにいたところ、

ある日、突然ライオンを放して撮影して怖かった」

という話をしているのをネットで見ていたし、

メリル・ストリープファンの作った映像で、

ロマンチックな場面は

概ね見ていたから、

話の展開を楽しみながら観る、

という感じではなかった。

ただ、

夫のブロアが狩りに出かけてしまった留守中に

夫の友人であるコリーとデニスが訪ねてきて、

ヒロインのカレンに

「歌を歌うか」とか「話はうまいか」と聞くところが

とても面白かった。

カレンは、歌は歌わないけれど、

話には自信がある、

と答える。

「話がうまい」ってなんだろうって思っていたら、

要するに、即興で話を作っていく、というもの。

カレンは、デニスがその場で考えた物語の発端を受けて

話を作り上げていき、

客人二人はそれを堪能する。

そして、男2人は、歌を歌う。

DVDのおまけの裏話の監督の解説によれば、

テレビはもちろん、ラジオもまだなかった時代、

「会話」が大切な娯楽だった、らしい。

語り継がれてきた昔話ではなく、

その場で話を作っていく、

というのが、すごい。

まさに、ストーリーテリング、

シェヘラザードの世界。

非常に知的な遊びだなぁ。

ん~、一人でDVD観ているなんて、

全然知的じゃないなぁ。

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月のきれいな夜に

ここのところ、毎晩月がきれいだ。

昨夜、母との電話の後、ちょっと気分が滅入った。

私が母にあげたものを、

母が、私の気持など全然考えずにあっさり処分したのが、

けっこう堪えたのだ。

メリル・ストリープが

フランスのDeauvilleというところの映画祭に行っていて、

フランスのテレビ番組に

とてもきれいな紫色のドレスを着て出ているのを見ても

ちっとも元気にならない。

びっくりするほど、胃がキリキリしていた。

自分が、母の行動に、こんなに影響される、

ということも

驚きだった。

とりあえず、風呂に入って気分転換を図る。

風呂から出て、ふと本棚から

以前に読み終えた

『共依存症 いつも他人に振りまわされる人たち』を

取り出して、パラパラ見てみる。

すると少し、気持ちが落ち着いてきて、

なんだかんだいって、

自分は母に自分の希望を押しつけていたんだ、

ということを認めるにいたった。

まったく、私ったら。

今、さんざん、

「他人をコントロールすることはできない」とか

学んでいるところではなかったのか。

家人も娘もコントロールなんかできないって、

私なりに納得したんじゃなかったっけ?

それなのに、母のことは、

少し変えられると思ってしまっていたのかもしれない。

馬鹿な私。

あれは、一番の強敵なのに。

それを認めたら、

少し胃が楽になった。

カーテンを開けて窓の外を見たら、

月が静かな夜の町を照らしていた。

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分家の悲劇

先日、白内障の手術で入院した時、

栄養士による食事の指導があったらしい。

母は、急に塩分の取りすぎに神経質になった。

もともと、血圧が高めなので、

それなりに薄味の食事をしていたはずなのに、

ぬか漬けは塩分が高い、と言い出した。

80幾つまで元気に過ごし、

今差し迫って、何かの症状で困っているわけでもない人に

栄養士が知りえている範囲の知識で

「食事の指導」って

そんなに重要なことかしら、

と疑問にも思うけれど、

母は知識のある立場の人に指導されるのが好きだから、

自分はもうこれでいい、

好きなように食べていくんだ、とは思わない。

そりゃあ、毎食、

ぬか漬けのキュウリ一本とか食べていたら、

塩分の取りすぎになると思うけど、

一本つけたキュウリを

少しずつ食べるのであれば、

「要注意」というほどの

塩分摂取にはならないのでは?

という発想は、母にはない。

みそ汁はやはり飲んでしまうけど、

ぬか漬けは食べないことにしたそうだ。

いや、みそ汁一杯のほうが、

ぬか漬けのキュウリ3切れより、

塩分高いと思うぞ。

それで、ぬか床は捨ててしまったそうだ。

どうも、このごろ、ぬか床の匂いが変化して、

ぬか漬け混ぜるのが

嫌になっていた様子だった。

それで、ぬか床は捨ててしまった、わけ。

今年の春、私のところから、

母のところに「分家」したぬか床。

母は、処分したぬか床の本家が私だったことなんか、

忘れていた様子であった。

「だから、ぬか床は、捨てたの。」

という母の言葉には、

なんだか、厄介物を処分してやれやれ、

という響きがあった。

知ってるよ、ママ。

ママって、そういうとこ、

信じがたいほど、

何も感じない人なんだよね。

食事の指導をされて、

何だか、自分の食事がとてもよくないように思えてきて、

気に入らなくなってきたぬか床、

自分の周りから追い出しちゃったんだな、たぶん。

ぬか床を渡したときは、嬉しそうにしてくれたけど、

ほんとは、私からもらった、というのが、

嫌だったのかもしれない。

今夜は、捨てられた分家を追悼して、

本家をもう一度、かき混ぜておこう。

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りんご

くだもので、何が一番好き?

と聞かれれば、

迷わず「りんご」。

もちろん、くだものは、

嫌いなものはないけれど、

やっぱり、「りんご」。

ひらがなで「りんご」と書いても、

カタカナで「リンゴ」と書いても、

漢字で「林檎」と書いても

どれもおいしそう。

中国語で「ピングゥオゥ」というのが

「りんご」という音になったのかも、

とひそかに仮説を立てている。

子どものころは、

そりゃあ、メロンやパイナップルに

心惹かれたこともあったけれど、

今は、特に、メロンやパイナップルを食べたいとは思わない。

(財布と同意見)

柑橘類に関しては、

子どもの頃は、ミカンが好きだったけれど、

今は、ミカンは食べなくてもいいかも。

(一箱買うと、カビとの戦いだし)

それより、八朔のほうがいいなぁ。

甘夏も好き。

しかし、なにより、りんごがいい、

と思っていて、

ふと気が付いたら、

今年は、8月も「ふじ」や「王林」を買っていた。

スイカやぶどうもあったのに。

モモやマンゴーも好きなのに。

夏に、リンゴを食べるなんて贅沢、

『12のつきのおくりもの』とか『森は生きている』に出てくる、

真冬に春のものをほしがる、

わがままなお姉さんとか女王みたい。

食べ物は、旬のものを食べなきゃ、

というのが、私の原則のはずだけれど、

リンゴだけは例外。

こんな夜更けに、小腹が減ったと、

つがる、一個食べて、

ちょっと、くちいおなかで幸せ気分。

ん~、あすは、また週末だ。

家人が一日家にいると思うと

気が詰まる。

おなかがいっぱいで

あれこれ気に病み始めないうちに、

寝てしまおう。

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自分についての評価

何かがうまくいかなかったとき、

自分の頑張りが足りなかったからだと思う。

何かがうまくいったとき、

ものすごく頑張ったわけでもないのにラッキー、

と思う。

それで、私は、いつも頑張らずに過ごしているような気がしている。

その一方で、

何だかちっとも疲れが取れない気がしている。

世の中には、本当にものすごく頑張っている人たちがいると思う。

私は、ちっとも努力していない気がする。

でも、本当にそうなのかな。

それとも、自尊心が足りないのかな。

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何様?

昨日は、飲んだ量が少なかったのか、

昨夜の家人の寝顔は、そこそこまっとうであった。

その寝顔を見ながら、

なぜ、自分は、こいつと一緒にいることを

選び続けているのだろう?

と考えた。

考えたけど、まだその理由は分からなかった。

逃げ出したくて、

一緒にいるのが嫌でたまらない、

というわけではない。

でも、だからと言って、

一緒にいたくていたくてたまらない、

というわけでもない。

少なくとも、自分は、この男に腹を立てている。

腹を立てている理由は、

アルコール依存症である、ということではない。

アルコール依存症である、

とわかっているはずなのに、

酒をやめよう、とは思わず、

このまま、毎日飲む生活を続けようとしている、

その心持が嫌なのだ。

あさましい、というか、さもしい、というか。

そう。

それが、許せないのだ。

やめようと思わないのは、病気だから?

そうなんだろうか。

やめられないのは、病気だから、

というのは、なんとなくわかるが、

とりあえず、まず、

やめるという意思表示ぐらい、

なぜできないんだろう。

許せない。

自分の気持ちを確認しつつ、

ふと思う。

人を許すとか、許さんとか、

私って、何様?

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『グッドモーニング、ベトナム』

昨日、ひかりTVの解約の電話をしたら、

「8月につないだので、8月中の解約はできません。

9月中にもう一度電話してください。」

と言われた。

それなら、もう少し、見ちゃおうかな、

というわけで、

今日は、出かける予定がキャンセルになったので、

『グッドモーニング、ベトナム』(1987)を観てしまった。

ベトナム戦争初期に、

アメリカ兵を鼓舞するためにやってきた人気DJクロンナウアの

5ヶ月間を描いたもの。

主人公のクロンナウアは、ロビン・ウィリアムズ。

さすがに30年前、

若いし、痩せている。

『いまを生きる』や

『レナードの朝』の役どころより

『ミセス・ダウト』のノリに近いかな。

ベトナム戦争時のサイゴンを舞台にしていて、

爆破テロの場面などがあるものの

『ディアハンター』のように

画面を見ていられない気持ちになる場面はない。

というか、どことなく、話が甘い気もする。

主人公のクロンナウアが

「親友」と信じていたベトナム人青年ツアンが

実はベトコンだと判明し、

クロンナウアは、

彼に危険が迫っていることを伝えに行く。

逃げた青年に対し、クロンナウアが

「信じていたのに」という場面とかがあるのだが、

いまどき、子ども向けのアニメだって、

そんなせりふ、言わないんじゃない?と思った。

でも、ひょっとすると、

「甘い!」と言われるのは承知のうえなのだろうか。

アメリカ人、について、何をどのくらい知っている、

というわけではないけれど、

イラク戦争についての発言など、

報道されているアメリカ人の戦争観を思い起こすと、

クロンナウアの「親友だと思っていたのに」

という単純さは、

ベトナム戦争が始まったころのアメリカ人の感じ方を、

案外、よく表しているのかもしれない。

そういえば、

ロビン・ウィリアムズは、

薬物依存とアルコール依存を克服した、

ということになっているんだっけ。

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