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2009年7月

マニフェスト

自民党のマニフェストが発表されたとか、

テレビはあれこれ解説に忙しい。

家人は、それを見ながら、

「こんな金を撒くような話ばかりでいいのか」

など、ご立腹なさる。

ん~、まぁ、確かに、みなさん、

「 目先の生活をよくしていくことだけが大事。」

という感じで、

実のところ、

「この国の行く末なんか、知らない。」

というところなんだろうと思う。

「別に、端から期待していないけど」

と私が言うと、

「こんなことしていて、

10年後の日本はどうなるんだ」

と、またご立腹である。

それは正論である。

しかし、

テレビの前でいくら文句を言ったって、

世の中は変わらない。

何か自分なりに行動を起こしたところで

世の中は変わらないだろうし、

自己満足なだけかもしれない。

でも、

テレビの前で、酒臭い息で文句を言うより、

世の中に、自分が貢献できること

考えればいいのに、

と思わなくもない。

「日本はどうなるんだ」

と、まだお怒りの家人を

つい、からかってみた。

「国も人も

落ちるところまで落ちないと

まっとうにはならないらしいよ。」

幸か不幸か、

嫌みは通じなかった。

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苦言

6年前に引っ越した友人と約1年ぶりに会う。

ランチして、ちょっとお菓子屋のぞいて、

スタバでおしゃべりして

またね♪

メールや電話で連絡を取っていても

直接話をするのは、全然違う。

困ったことが起こると、

私は、たいてい彼女に

相談、というか報告をする。

彼女は、話を聞いてくれたうえで、

有益な情報をくれることもあるし、

私を励ましてくれることもある。

いつだったか、電話で話していた時のこと、

精神科の医者に、

家人のアルコール依存症のことを

私がすぐに蓋をしてしまう、

と言われた、とぼやいた。

すると、友人は、

「お医者っていいわね。」と言った。

「あなたに、そんな風に言えるんだもの。

私も、あなたに言いたいな、と思うこともあるけれど、

いくら私でも、なんでもかんでも言えるわけではないから。

あなたにも、私に言いたいけど、言わないこと、あるでしょう?」

と言うのだ。

いつも、率直にものを言ってくれている、

と思っていたから、

ちょっと意外な気がした。

彼女に言えずにいることは、

確かにあるけど。

そして、今日。

私が、昨夜、

家人の微妙に高圧的な態度を無視した、

という話をしたら、

友人がちょっと真顔になって

「私、前からあなたに言いたかったことがあるんだけど、

いい?」と言う。

「もちろん、いいですよ。どうぞ。」と答えると、

「私、前からずっと思ってぃたんだけど、

あなた、ご主人に遠慮しすぎだったわよ。」

そう言ってくれてから、

「前からずっと思っていたのよ。

ちゃんと、言ったからね。」

と言ってから、

私と、自分自身に確認するように

もう一度、

「言ったからね。」と言った。

そうだったんだ。

やっぱり、私は傍から見ると、

健全ではない人間関係を維持していたんだ。

言ってもらえて、とてもうれしかった。

ちょっと年上だけど、私の大事な友人。

私が彼女にできることは、何だろう。

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『きくち体操』

本屋で見かけたムック。

「驚きの若さを手に入れる!

 きくち体操

と書かれた表紙には、

若いとは言えないが

えらく姿勢のいい女性の写真が。

写真の脇には、

「「きくち体操」創始者

 菊池和子

 74歳」とある。

会ってみたい、

と思う感じの人ではなかったが、

思わず、手に取って中身を見てしまった。

体育教師をしていたことから、

団地の奥さんたちに

体操を教えてほしい、

と言われたのがきっかけで、

オリジナルの体操を考案したという。

あ、なんだか、この話、

ラジオかなんかで聞いたことある。

体操の写真を見ると、

ヨガのポーズと同じでは?

と思うものもあるけれど、

それほど難しそうではない。

「体と心のバランスがとれてこそ健康なのです」などと

「健康」に力点が置かれているせいか、

いわゆるダイエットのエクササイズ本と

違う雰囲気を出している。

というわけで、

とりあえず買ってみたのだが、

これがなかなかいい感じである。

「あなたは自分で自分をよくしていける」

「毎日、自分の体に目を向けていますか?」

といった、「創始者」からのメッセージが

妙に、私の心に響いてくる。

自分の心や体からのメッセージを

ちゃんと受け止められるようになりたい、

と思っている私に、

ちょうどいい体操のような気がする。

「ビリー」や「コアリズム」は

確かに体を動かすけれど、

自分の体と向き合う、

という感覚はなかった。

ヨガも、私は苦手。

「リラックスしなくては」と思って

かえってリラックスできなくなってしまう。

その点、「きくち体操」は

筋肉の動きを意識する、

ことに重点があるので、

自分を解放するのが苦手な私にも

抵抗感なく行えるのだ。

毎日、少しだけ体操をして、

自分の体のメッセージを

ちゃんと聞いていけるようになろう。

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一年

昨日、今日と、向かいの家の人の出入りが多い、

と思っていたら、

今日、礼装している人たちがいた。

そうだ。

向かいの90歳を超えたおばあさんが亡くなったのは、

去年の今頃だった。

お向かいのご当主は、

おばあさんから見て孫にあたる人。

去年の5月ごろに

救急車で病院に行ったものの、

病院ではもう手の施しようがないといわれ、

それならば、家でできるだけのことをしよう、と

娘や孫や、ひ孫たちが

お世話していたけれど、

ついに、天に召されたのだった。

(お向かいはクリスチャン)

まさに大往生である。

おばあさんは、

家人をえらく気に入ってくださっていて、

ときどき、ふたりで話し込んでいた。

家人が、亡くなった息子さんと

だいたい同じ年くらいだったせいもあるのだろう。

家人も、亡くなった母親を思い浮かべながら

おばあさんとお話をしていたようだ。

あれから、一年たったのか、

と思うと

私もしんみり。

おばあさんが

家人のアルコール依存症をお知りになったら、

どう思われるだろう。

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愛って何?

思い切り、青臭いタイトル書いてみた。

アルコール依存症の伴侶の人たちの

プログを読ませていただいて

いやぁ、私はこんなにはできない、

と思いつつ、

そこに書かれている「愛」ということばが

意味するものはなんなのか

知りたく思う。

で、私が家人を愛しているかって?

一番正直な答は

「自分にもわからない」だ。

さっき、家人とすれちがったとき、

アルコール臭かった。

家人の部屋からもアルコールのにおいがする。

胃が痛くてちょっとへばり気味だった私は

吐いてしまうかと思った。

でも、変な話だが、

それでは、生理的に一緒にいたくない、

というところまでは行っていない。

洗濯物も一緒に洗うことに抵抗感はない。

娘が思春期の時、

「お父さんのもの私のものを一緒に洗濯しないで!」

なんて、とんでもないことを言い出したが、

私自身、家人のものと自分の物を一緒に洗う気がせず、

家人のものだけ、別に洗濯していた時もあるのだ。

それに比べれば、

生理的に嫌悪しているわけではない。

それでも、

アルコールを摂取したとわかる呼吸をしている人間と

同じ空気を吸いながら寝るのは

そのことを意識してしまうと苦痛。

ん~、今更ながら、愛って何?

と思わないではいられない

今日この頃。

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納涼会

今日は、とあるグループの納涼会。

22歳から59歳のメンバーが集まった。

車の運転もあるので、

私はジンジャエールとウーロン茶ばかり。

他の人が注文するビールやお酒を見ても、

特に飲みたい、という気にもならない。

(ハーフ&ハーフを見た時は、

一口舐めたい気もしたけれど)

家人のこともあるから、

今年の1月の初めから一滴もお酒は飲んでいない、

という話をすると

向かいに座った、

たぶん実はアル症の人が

「どうして飲まないんですか?」と尋ねる。

どうして?

そうですね、

と私は改めて考える。

最初の頃は、

家人が断酒するには

やはり私も飲まないほうがいいだろう、

という気持ちだった。

今でも、私が飲んだら、

相手に口実を与えるような気がしていることも確かである。

でも、それだけではない。

なんというのだろう。

家人が断酒しない、

ということは、

考えようによっては、

家人が私よりアルコールを選んでいる、

と考えられるのだ。

それが、癪に障る。

だから、ますます飲む気にならない。

この気持ち、家人にはわからないのだろうな。

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運命の相手

自分には

すでに長いこと一緒にいる存在があるのに、

「運命の相手」に出会ってしまったらどうしよう、

と思いながらも

私は時々そこに足を向ける。

小さな愛らしい存在が

そこで私を迎えてくれる。

目すら合わない相手もいれば、

目があっても

特に心が動かない相手もいる。

私は密かに「出会い系サイト」と呼んでいる。

ペットショップ。

私のお気に入りの店は

つぶれてダイソーになってしまったが、

他にも二か所ほどお楽しみスポットがある。

今日、ネコ砂を買うために立ち寄ったついでに

子犬のコーナーを見に行く。

ほとんどの子犬がお昼寝中だったが、

ポメラニアンが一匹、起きていて、

私がからかうと

小さな前足をガラス戸につけた。

うわぁっ、肉球も小さい (o^-^o)

小さな舌でガラス戸をなめたりもする。

「超美形」でないところがまたかわいい。

じゃぁ、運命の相手?

いやいや、

いっときのアバンチュール(この言葉古いかも)の相手、

というところか。

ネコ砂が安くなっていたので、

少し多めに買いこんで

重い思いをしながら帰宅。

最近、なぜか爪とぎの上で寝ている我が家のネコが、

階段の上までお出ましになり、

にゃぁにゃあ、賑やかに迎えてくれた。

ごめん、ごめん。

あんたの他に、

運命の相手なんかいないよ。

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アルコール家族教室3回目

今日は、午前の仕事が長引いて、遅刻した。

こそぉっと入ると、来ていたのは初回に一緒だった人たちと

前回断酒会に誘ってくれた人。

あと、研修か何かで見学している様子の人。

今日の講義は、「アルコール依存症の治療について」

それから、参加者が自分のことについて話す。

話していて、気がついた。

今、自分がかなりみじめな気分だということ。

いろいろな人にさらっと報告していたわりに、

こういう状況になってしまったこと

実のところ、受け入れ難く思っている、

ということ。

家族教室が終わったあと、

トイレに行っていた私を

以前から家族教室に通っている人と

断酒会の人が待っていて、

立ち話ではあったけれど、

いろいろご自分たちのことを話してくれた。

ありがたかったし、

本当の意味で励ましてもらえたような

不思議な感じがした。

我が家の事情を知っている人たちも

いろいろ励ましてくれる。

でも、心の中で、

「心配してくれてありがたいのですが、

 たぶん、そんなに楽観的にはことは進まないみたいです」と

言いたくなる。

何か、違和感を感じてしまうのだ。

だが、今日かけてもらった言葉は違った。

ちょっと勇気をもらったなぁ、

という気分になっていたのだが、

なぜか、さっきから胃がきりきり痛い。

少し安心して、心と体のバランスが崩れたのか?

要するに、自分のこと、よく分かっていないらしい私である。

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皆既日食

今日のニュースは、

豪雨災害と皆既日食。

土石流の被害にあった人には

日食なんて関係ない話だったろう。

どちらのニュースもテレビで見ている私は

小市民か?

とはいえ、見られるものなら部分日食でも見てみたかった

日食。

本日、我が家のあたりは小雨交じりの曇天。

日食の起こる時間帯は仕事。

それでも、窓の外を見てみたら、

西のほうの空が不思議に黒かった。

雨雲とは違う黒さ。

昼ごろ、同じところを見たら、

ずっと明るい雲だった。

だから、たぶん、あの辺の雲の上で

部分日食が起きていたのだろうと推測。

次の皆既日食は26年後だとか。

私は、生きているか?

生きて、しっかり見てみたい。

26年後。

娘は50歳。

どんなおばさんになっているんだろう、

と思ったら、

なんだか涙が出そうになってしまった。

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「問題は当事者が認めるまで悪化する」

先日の新聞

『勝間和代の人生を変えるコトバ』で

取り上げられていた言葉。

見過ごしてしまいたい問題を

放置していると

時や他人が解決してくれることはほとんどなく、

多くの問題は悪化してしまう、

ということ。

花粉症や人間関係などの例が挙げられていた。

アルコール依存症にもまさに当てはまる。

家人の酒好きが度を越していて、

これはアルコール依存かもしれない、

と、私はよく冗談で言っていた。

でも、いつの間にか、

家人は健康診断を巧みに

逃げるようになっていた。

それが分かってからは、

内臓や脳について、

ちゃんと検査をしてほしい旨言い続けたが

家人は拒否し続けていた。

そして、ついに、家人が入院して

「アル症」であることがはっきりした。

アル症患者本人が

それをどの程度納得しているかは定かではないが、

少なくとも、私や娘にとって、

以前は限りなく怪しくても

「可能性」として考えていたことが

否応なしに事実であり、

現実となってしまったわけだ。

私自身が、心のどこかでその事実を認めたくなかったのだから、

アル症患者本人が認めようとしないのもムリはない。

しかし、問題だと認識された以上、

もう、それはなかったことだとは言えない。

それにしても、

お酒好きの人と結婚したから、自分が良かれと思ってしてきたことが

おいしい酒の肴を作って、

自分もご相伴に預かりながら楽しく過ごす、

などと思い描いていたこと自体が

アル症の巧妙な罠にまんまとはまっていてわけで、

アル症患者が酒を飲む仕組みに

すり替えられていたのかと思うと、

悔しくて悔しくて悲しい。

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フリーズ

夏が来た。

暑さにまだ体が慣れないのか

疲れが残りがち。

それでも、

忙しさにまぎれていないと

なんだかその場で

呆然と立ち尽くしてしまいそうな感じ。

仕事の質は落ちてはいないと思うけれど、

前もって段取り決めるのが

しんどくて仕方ないし。

家人と普通に会話している自分に

仮面の下に本心を押し隠しているようで

嫌気がさしたりする。

どういう態度で暮らしていいのか

やはり、わからない。

というか、

私はどうしたいのだろう。

どう暮らせば、

私は自分に納得できるんだろう。

なんだか、フリーズ状態。

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娘の帰省

娘は、やはりこちらに帰ろうかどうか悩んだようだが、

結局帰らないことに決めた。

日曜日は、以前住んでいた地域のお祭り。

お祭りといっても、

新しく移り住んだ人間たちで始めたお祭りだから、

土着のものとは違って

子ども祭りの拡大バージョンみたいなものである。

そこで、私が関わっているグループが

毎年店を出す。

今年も朝から手伝っていて

携帯に娘からの着信があったのに気がつかずにいた。

それで、娘は、家に電話をしたらしい。

結果、家人が

娘が帰省したいらしい、

ということを知ったようだ。

夜、ぼそりと

「帰ってくればいいのに。」と言う。

「帰ってくるわけないじゃない。」

と私が言うと、

「どうして?」

「あなた、あの子と約束したでしょう?

その約束、あなた守っていないわよね。

あの子だって、そのこと知っているんだから。」

家人は、特に何も反論しなかった。

娘に見限られたところで、

それは身から出た錆び。

仕方ございませんね。

私も、自分が彼女の役に立てるとは

もはや思いません。

私の作ったご飯がどうしても食べたければ

帰ってくればいいのであり、

食べなくても

自分の問題を乗り越えられそうなら、

お金と時間と体力を使って

帰ってこなくてもいいのだと

いう気がしている。

そのくらいの底力は

彼女にあるに違いない。

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アリさんになぁれ

ときどき思い出すフレーズ

むかぁし、昔の『おかあさんといっしょ』の体操、

 小さく 小さく 小さくなぁれ

 小さくなって、アリさんになぁれ

ときどき、オリジナルも付け加えてみる。

 小さくなって なくなってしまえ!

今日、娘から電話があった。

また、彼氏とケンカしたらしい。

そんな彼氏、やめちゃえばいいのに。

と言えた母ではないのだが・・

あれこれ忙しくて、

気分的に煮詰まっているらしい。

「帰りたいけど、

あんまり、お父さんのアルコール依存症について

話を聞きたくないんだ。」

と言う。

私が、

とりあえず、自分の回復を目指す、

という話も

結局は、

家人のアルコール依存につながる話だから、

聞きたくない、と言う。

そうね。

頼りにしているつもりはなかったけれど、

ついつい、

「仲間」のような気がして、

娘相手にぼやいてしまっていた。

頼っていたよね。

悪かったなぁ。

そうか。

この家は、

彼女がしんどいのに、

帰ってくるのをためらってしまう家なんだなぁ。

「そんなこと言わずに

帰ってきて、ネコと遊びなよ。」

と、サラっと言いたいけれど、

言えない。

娘が「もうお酒は飲まないでね」

と言ったのに対し、

家人は「わかった。」と答え、

娘はその言葉を信じたのだから。

家人が、その言葉を裏切っていることは、

娘もすでに知っていることだ。

けれども、

知っていることと、

家人が飲んでいるらしい空間に

自分が身を置くことは違うだろう。

さすがに、どうしていいか、

わからない。

家人のアルコール依存症が

私にはどうしようもできないことなのと同様に、

傷ついている娘を助けることも

私にはできないことなのだろう。

アラノンACのこととか、

話してみようか・・

でも、聞く耳持たないだろうな。

ちぢむ前頭葉の持主を見ながら、

娘の言葉を思い出し、

私はへこむのであった。

 小さく 小さく 小さくなぁれ

 小さくなって、アリさんになぁれ

 小さくなって なくなってしまえ!

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願い事

七月の初めに、職場である行事があり、

そのとき、七夕飾りも一緒に準備した。

昨日、その行事の反省会があり、

担当者が準備した資料には、

なぜか、その短冊に書かれた願い事が

書き出してあった。

どうも、最近の関係者の考え方がわからない、

と、お偉いさんがのたまったのを受けて、

担当者が、ご参考までに、

と、短冊の内容を全部見て打ち込んだらしい。

何たる神経の持主。

七夕飾りを手伝った同僚が切れた。

「これは、個人情報保護の観点から見ておかしい。」

その理屈が説得力があるかはやや微妙だけれど、

爆発すると大変な人なので、

反省会の場は、それなりに凍りついてしまった。

とはいえ、私は、さりげなく、

彼女の肩を持ち、

事態の収拾に努めた。

短冊は、誰もが見られるものだけれど、

誰にでも見せるような形の資料にするなんて

とんでもないことだ、

と思う。

そもそも、反省会に、自分の反省は一言も出さずに、

短冊の内容を打ち込む作業をするんて

時間の使い方が間違っている。

行事にかかわった人たちから

「改善点」について全然意見が寄せられない、

とか言っていたけれど、

それなら、もう一度リマインドすればいいのに、

それもしないで、短冊見ていたなんて。

まったく、どうして、あんな馬鹿が、

私たちよりお金もらっているんだろう。

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声に出す

松岡正剛著『多読術』の中に、

「人が声を出さずに本を読むようになったのは

あまり昔のことではない」

というようなことが書いてあった。

昔は、「読書」は「音読」だった、

というのだ。

確かに、読書に不慣れな子どもは、

黙読でわからなくても、

声に出して読むと

自分の声を聞いて

内容を理解したりする。

それで、自分でも試している。

クラウディア・ブラック著

『子どもを生きれば大人になれる

<インナーアダルト>の育て方』の最後に、

「クラウディア・ブラックから

 あなたへの贈り物

―自分を認めるための言葉」

として

22の宣言文が載っている。

これを、毎晩、声に出して

二回くらい繰り返して読んでいる。

傍らに、小さなサルのぬいぐるみを置いて。

読み始めて、まだそう何日もたっていないし、

そうそうすぐに

自分に変化が起こるとも期待できないが、

自分のための儀式として

気に入っている。

一昨日は、父のことを考えて

やはりまいっていた。

自分の中のもやもやが

うまくおさまらず、

かといって、

家人に、こんなとき

きちんと話を聞いてもらうことは

期待できないので、

「自分を認めるための言葉」を

音読してみた。

すると、びっくりするくらい

自分の声に元気がないことに気がついた。

小さくて、震えていた。

一つの文を読むたびに、

ぬいぐるみが、

私を見てうなづく。

子どもじみた作業だけれど、

それを繰り返すうちに、

少し、自分の中のもやもやが

落ち着いて行った。

二回繰り返して

少し自分の声が元気になってきた気がした。

三回目、四回目、と繰り返すうちに

自分の声が力強くなっていった。

声に出して読むって、不思議。

その「自分を認めるための言葉」の中で

私に一番ストンとくる言葉。

 親密さとは誰かのそばにいること。

 親密さとは、拒絶される恐れなしに

 相手の前でありのままの自分を分かち合えること。

 それができるというお互いの信頼があること。

家人に、それを求め続けるのは間違いか?

そうそう、「ちぢむ前頭葉」の封は

今日は破られなかった。

焼酎を飲んでいた様子だから。

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ちぢむ前頭葉♪

父の命日。

といっても、お寺で供養してもらうわけでもなく、

実家に私と妹が行って、

母と三人、食事をするだけ。

そういえば、まだ3人で一緒に思い切り泣いたこと、

ないなぁ。

で、本当は、

今日は父のことだけを考える日にしたかったのだけれど、

非常勤、時間給労働者としては

そうもいかず、

夜には仕事があって、実家から職場に直行。

(家人の晩御飯はパス!)

9時過ぎに帰宅して、

母に電話をして、

コンビニで買ってきたそばを(炭水化物だけど)食べて、

リンゴを食べようと、

飲み物など専用の小さい冷蔵庫を開けた。

近頃は、炭酸水などが置いてある所に、

久しぶりに見るアルミ缶。

淡麗、500ミリリットル缶。

中身を捨てちゃったりするのは、

「プロヴオーカー」っていう共依存になるんだっけ?

ん~、だからと言って、

このまま見過ごすのも

やっぱり腹が立つ!

なので、缶の側面に、マジックで

「ぜんとーよー」

「ちぢむ」

と書いておいた。

それから、プルトップの上には

ガムテープを貼って、

「ちぢむ

前頭葉」

これも、プロヴォーカーとやらになるのかしら?

端的に言って、嫌がらせだけど。

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父の顔

その前の晩、母から電話があった。

「ほんとは、言わないつもりだったけど、」

と前置きして、母がした話は

想像を超えた内容だった。

父が二階の窓の手すりを使って首つり自殺を図ったが、

母の叫び声を聞いた

隣の人が来て

何とか食い止めた、というもの。

助けてくれた人が、

このことは娘さんたちに知らせたほうがいい

と言ってくれて、

母はようやく私たちに連絡する気になったらしい。

父も母も、

人を恃むのをえらく嫌がる人たちだから、

母は私たちにも言わないつもりだったのを

なぜか、その人は見抜いてくれたのだろう。

すぐにでも実家に行きたい気持ちだったが、

実家までは、3時間はかかる。

おまけに、

こちらも、娘がメンタルの調子が悪く、

帰りたいけれど電車に乗れない、というので

私が車で迎えに行って帰省中。

翌日は、私が車で送りに行くことになっていた。

それで、実家には妹に行ってもらうことにした。

妹は、実家からから40分くらいのところに住んでいる。

夜、父は、導眠剤を飲んでとりあえず寝たらしい。

母と妹はまんじりともせず朝を迎え、

とりあえず病院に行こう、と連れ出した。

私のほうは、娘の送りは家人にまかせ、

私は実家に向かった。

その頃の交通事情では、

実家に向かうのにJRの駅まで出るのと、

高速バスを利用するのと二つの方法があった。

バスは時間が読めない

だから、頭では、JRで行くべきだとわかっていた。

でも、私は、バスを選んだ。

一刻も早く父に会わなければと思うのと同時に、

恐ろしい事実と向かい合うのを

一刻も先に延ばしたかったから。

それで、父と母と妹の病院行きには

結局合流できなかった。

いや、父が抵抗して、結局精神科はおろか

かかりつけの医者にも行けなかったのだから、

「病院行き」にはならなかったのだが・・

実家で父の話を聞いた。

父が長いこと、自殺を考えていたこと、

母も道連れにしようかと思ったこともあること、

しかし、それはやめたこと。

そんなことは、もうしないで、

と私たちは涙ながらに話をしたけれど、

その言葉が父の心に届いていないことは、

父の様子を見てわかった。

それでも、父が何か前向きになってくれれば、

という気持ちで、

妹と二人で、

父にパソコンのメールの使い方の説明をしたりしてから

実家を後にした。

玄関での別れ際、

父の顔は、とても悲しそうだった。

「もう、決めてしまっていて、

その気持ちを変えることはできないんだ」

私は覚悟した。

だから、せめて、父に駆け寄り

ハグしたいと思った。

でも、私はしなかった。

次の日、父は、勝手に旅立った。

あの時の父の顔、

いつの間にか思い出せなくなったしまった。

悲しそうな顔だった、

ということは覚えているのに、

具体的にどうしても思い出せない。

きっと、

それにまつわる感情とともに

記憶に「蓋をしてしまった」んだろう。

今日は、[父の顔を最後に見た日」。

そんなの記念日にならないけど。

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ばっかじゃなかろか

夕方、出先から戻って車から降りると

玄関の扉の擦りガラスの向こうに

家人の姿が見えた。

扉を開けて、

私の姿を見て

「あ」と

例によってアホ面して立ちつくした。

そして、すぐに扉を閉めた。

そりゃそうだよね。

手には、氷入りの焼酎のカップ、

持っていたもの。

バレバレです。

私が買物の荷物を降ろしていると、

さっき手にしていたカップはどこへやら、

素知らぬ(?)顔をして出てきて、

何やらガレージ周りの作業をなさると

のたまう。

はいはい、どうぞどうぞ。

飲みながら、ご機嫌で作業できなくて

お生憎様。

「天網恢恢疎にして漏らさず」

って、漢文の時間に勉強したでしょう?

前頭葉が委縮して

海馬もダメージ受けて

忘れちゃったかしら?

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ネガティブなイメージ

『愛しすぎる女たち』を読んでいた時だったか、

『子どもを生きれば大人になれる

  <インナーアダルト>の育て方』を読んでいた時だったか、

ふと、自分がかつて抱いていた

ネガティブな男女関係のイメージを

思い出した。

なぜか知らないけれど、

ときどき、私の頭に浮かんでいたイメージ。

具体的に誰が相手というわけではないのだけれど、

ひどく冷たい態度をとる相手に対し、

私はできるだけのことをするけれど、

相手は私のことを理解してくれない、

というような内容。

なんで、そんなイメージ、持っていたんだろう?

「白馬に乗った王子様」が迎えに来ないまでも、

もう少し、楽しいイメージとか

憧れとか、なぜ一度も持ったことがないのだろう?

頭では、お互いを応援していけるような関係がいいな、

と思っていたのに、

自分の心の中にあったのは

えらく暗いイメージだったことに気がついて

愕然としてしまった。

もっと、ポジティブな関係について

イメージが持てるようになりたい。

というか、

たぶん、それより先に、

自分について、

ほんとうにポジティブになれることのほうが先だろうけど。

ずっとポジティブでありたい、と思ってきたし、

そのようにふるまってきたけれど、

どこかポジティブになりきれてないのも

確か。

命名 捻じれポジティブ

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精神科と循環器科

家人の精神科の翌日は、

私の精神科受診日。

アラノンにも行ってみたこと、

指摘された「すぐ蓋をしてしまう」反応は、

家人のことに限らないこと、

アル症妻に共通点について書かれた本を読んで

痛いと思う点があったこと、

でも、今の時期はなんだか忙しいので、

自分の変化を受け入れられる余裕があるか不安でもある、

と話したら、

「時間はかかるかもしれないけれど、

 忙しくても何でも、

 変わる時には変わっていきます。」

と言われた。

ふ~ん、そうか。

じゃ、そこは時の流れに身をまかせちゃおう。

単純な私。

そして、今日は、循環器科。

先日の24時間心電図記録の結果を聞いた。

結論からいえば、問題なし heart02

データによれば、

私は、他の人より、心拍数が少ないのだそうだ。

8割程度。

で、不整脈も、普通の人の1/3くらい。

健診の心電図で見られたQT延長と関係して

問題がある不整脈も見られなかったそうで、

今後も心電図をとれば、「異常」と言われるかもしれないが、

症状がなければ気にしなくていいのだそうだ。

やれやれ。

え?

それって、ひょっとして、

心臓からして「怠け者」ということ?

友人に報告したら、

「心臓が強力」と解釈すればいい、

と言われた。

え?

図太いってこと?

何にせよ、

体の心配がなくなり、

うれしく、ありがたく思う。

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精神科

リウマチ科通院の翌日は

家人の精神科の通院日の予定だった。

母の脳が委縮していなかった、

という話が、やはり嫌味に聞こえたのか、

あるいは、リウマチ科に行ったのが疲れたのか、

「明日は行かない。」

と言いだした。

「薬は?」と聞くと

「まだ、ある。」

「飲み忘れたりしたの?」

「薬の量が減ったから、

  前のが少し余っている」

そんなはずは、なかろう。

きっちり28日分ずつしか出ていないのに、

と思ったが、

「じゃ、来週行くのね。」

「うん。」

「来週は、父の命日だから、

 (実家に行くから) 私は行けないわ。

 一人で行けばいいわね。」

「・・・」

一緒に行くのはいいのか悪いのか、

こっちが悩んでいたのなんか

家人はちっとも知らなかったのだろうが、

とにかく、今回は、私は同行せず、

とあっさり決まった。

こっちは、4週間に一回、

水曜の午後は、

仕事のアベイラプルを入れずにいるのに、

勝手なことばかり言いやがって、

とちょっと腹も立ったのは事実だが。

と思っていたら、

その後、寝る前になって

「明日、行ってもいい。」

と捨て台詞のように言う。

「行ってやってもいい」という響きの

偉そうな言い方である。

こういうときは、

「明日、行くからよろしく」って言うんだよ、

と思ったけれど、

飲んでいる奴と必要以上に口をききたくないので

「わかった。」とだけ答えた。

チェックしてみたら

やはり薬が足りないことに気がついたんだろう。

で、当日。

医者が

「どうですか?

 相変わらず、焼酎一合ぐらい、飲んでいるんですか?」

と聞くと、

家人は「はい」と

微妙な笑い顔で答えている。

正直、私は、その顔が嫌いだ。

なんだか、人間として卑しい表情に見える。

心の奥底では

自分でもよろしくないと思う行為をしているのに

「自分は問題ない」と取り繕っているからに違いない。

医者が今度は私に尋ねる。

「奥さんから見て、どうですか?」

「いびきや寝言は、入院中は全然なかったのに、

 また、いびきをかいたり、

 寝言を言ったりすることが 増えてきたので、

 飲んでいる量が増えたのか、

 弱くなったんだと思います。」

と答える。

ほんとうは、

「飲んでいるようなので、心配です。」

とか言うと、模範解答?

まぁ、アルコール依存症相手に

模範解答しても仕方ないけど。

それに、「心配」?

そこが、よくわからない。

飲み続けるか、酒をやめるかを決めるのが

本人の問題なら、

彼の飲酒を心配するのは、

徒に自分が消耗するだけじゃないか、

という気がしてしまう。

というか、

今の私は、

そんな心配するのもめんどくさい、

のである。

とりあえず、薬の量は変わらず、

次回の診察は35日後、

ということになった。

仕事のアベイラプル訂正しなくちゃ。

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リウマチ科

先日、家人が言うのに、

「これはリウマチではないかもしれない」

リウマチ科でそう言われたらしい。

それなら、何なのか?

「内因性の痛風かもしれない」のだそうだ。

でも、薬が効いているので

とりあえず、このまま行くらしい。

それは、どういう原因で起こるのか

家人に聞いてみたけれど、

答えが要領を得ない。

早い話、

諸悪の根源はひとつ、

ということらしい。

それで、夜中に痛みで目が覚めた、

などと言われても

同情のしようがない。

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顔
段ボールのプーさん

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神経内科

先日、母が神経内科を受診した。

手足が火照ることがある、
という母の話を聞いた
内科の医師が勧めたのである。

最初の受診日、
母は電話口で憤慨していた。

ヨロヨロした人ばかりで
みな自分より高齢に見える人ばかりだし、
また、血液検査されただけだ。
気に入らないから、
とは言わなかったが
明らかにそういう勢いで
次回の予約をキャンセルする、
と言い張った。

ヨロヨロしているのは
病気のせいだろうし、
内科の医者は
何らかの病気の可能性を疑って
受診を勧めたのに違いないのに
なんとも短絡的な反応である。

妹は呆れていたが、
それでも妹と私でなんとかなだめ、
ついでに次回の受診日には
私も同行することにして
とりあえず母の癇癪を収めた。

どうも母は
何の病気なのか見当もつかないうえ、
そもそも「神経」ということばがついている科を
受診するのが嫌な感じ、
おまけに歩行困難な様子の人ばかりいる、
というので、
不安が不満という形で表れたようだ。

そして2回目の受診日。

脳のCTを撮る。

で、特に異常もないし、
神経内科の医者としては
結局なぜこの患者が
自分のところに回されてきたのか
はっきりしないまま
神経内科の受診は
終了。

ちなみに
母の脳は80過ぎなのに
萎縮がなかった。

帰宅して
そのことを家人に話したが
反応はなかった。

母より若いのに
萎縮しているんだから
反応のしようがないか。

母の脳は確かに
萎縮していなかった。
医者は、しきりと
「きれいですね」と言っていた。

ある意味
本当にきれいだった。
母の脳の皺は
幅が広く
あまりクリアには見えなかったのだ。

家人の脳は
アルコールのせいで
前頭葉が縮み
皺も太くなっていて
80歳の人並みだと言われたが、
それでもさすがに
もっとはっきり
皺は見えた。

でも、そのことは
意地悪して
家人には言わないでいる。

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カーテン

先週は、私としては

かなりしんどいスケジュールを

なんとかこなし、

疲れが抜けないまま週末が終わった。

昨夜は、まともな時間に寝ようと思っていたのに

『Mamma Mia !』の特典映像を

けっこう観てしまって

寝るのが2時過ぎになってしまった。

寝坊しないように、

と思って、

遮光カーテンを少し開けて寝た。

はずだった。

今朝、寝坊とまでは行かなかったが、

目覚まし時計が何度か鳴ってから、

かなりきわどい時間に目が覚めた。

気がつくと、寝るとき閉めた窓が開いていて、

開けておいたはずのカーテンが閉まっていた。

カーテンは二か所開けておいたのに

ご丁寧に二か所とも閉めてあった。

明け方にトイレに起きた家人の仕業らしい。

まぁ、私もまともな時間に寝なくてはいけない、

と反省して、今日はよゐ子で早く寝よう。

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Winnie-the-Pooh / Winnie the Pooh

気になって調べてみたら、

A.A.ミルンの書いた童話は

Winnie-the-Pooh (邦題『クマのプーさん』)で、

ディズニーのアニメは

Winnie the Pooh (邦題『くまのプーさん』)

なんだそうな。

『ドラえもん』が『どらエモン』ていうわけ?

ピーターパンが緑の服を着ているなんて原作にはない、

とか、

シンデレラはゲルマン民族のはずなのに

アングロサクソンの顔になった、

とか、

ディズニーの功罪について書いてあった本があったっけなぁ。

不思議の国のアリスも、

人魚姫も、お話で読んだ時のと

イメージは違うよなぁ。

『フランダースの犬』が、

アニメが基準の人がいる以上に、

ディズニーだから悪くない、

と思っている人、

いっぱいいるんだろうな。

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クマのプーさん

いつの間にか、

「クマのプーさん」はディズニーのキャラクターに

なってしまった。

どうして、イギリスの児童文学の挿絵が

ディズニーに横取りされてしまったのか、

悲しい限りである。

実は、長いこと、私は、

あまりプーさんの絵が好きではなかった。

しかし、

ディズニーのキャラクターにされてしまったプーさんを見たら、

「違う、これは『プーさん』じゃない!」

と、猛烈に腹が立った。

私にとって「プーさん」は

やはりE・H・シェパードのペン画の絵でしか

認められない。

先日、図書館で

『クマのプーさんスケッチブック』という本を見つけ

借りてきた。

シェパードの鉛筆でのスケッチと

最終的なペン画を

対比して楽しむことができる。

なんて、温かい絵。

なのに、どうして私は

プーさんの絵が好きじゃなかったんだろう。

というか、

実は、プーさんの話もあまり好きじゃなかった。

ひとつには、昔プーさんを読んだ時には、

イギリスの子どもと

日本の子どもの生活の違いが

わかっていなくて

文化的なずれがあったことがあるのかも。

でも、名作というものは、

そういう文化の差異を超えて

子どもの心に響くものがあるはずだろう、

とも思う。

それで、気がついた。

クリストファー・ロビンソンは

子どもとして

何も脅かされずにいたのに対し、

自分には、

そういう手放しで子どもとして暮らせる、

ということが

わからなかったから、だろう、と。

昔、苦手だったもの、

そういえば、

いわさきちひろの

子どもの絵も苦手だった。

今の自分から見れば、

子どもの表情をうまくとらえているなぁ、

と思うのだけれど、

その「子ども」というのが、

子どもの私にはわからない存在だったようだ。

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底付き

アルコール依存症は

底付き体験しをしないと

断酒を決意しないという。

しかし、いつ、どのように底付き体験するのかは

予測不能だ。

家人の「底付き」は

いつ訪れるのだうろ?

ひょっとすると、

そのXデーが来る前に

命が尽きてしまうかもしれない、

と考えたりもする。

その、いつ来るとも知れない日を

私は、あてもなく待つしかないのだろうか?

え~っ、

そんなのイヤだ!

まだガマンしなくちゃいけないの?

と、思って気がついた。

やっぱり、私

ガマンしてきたんだ

世の中に、自分より

もっとたいへんな思いで

暮らしている人がいることは

わかっている。

家人は、

飲酒して粗暴な行動をとるわけではないし、

とりあえず、家人も私も仕事も失っていないし、

娘も適応障害、落ち着いたようだし、

母もなんとか一人ぐらしできているし、

むしろ、恵まれているほうかもしれない。

でも、そうならば、

私は、まだまだ、

この状態で踏ん張っていきたいのだろうか、

と自問すれば、

答えは、

「いいえ、もう、充分です。

 これ以上踏ん張りたくありません。」

そう、人と比べて、どうこう、

ということではないのだ。

質問はこう変えることもできるからだ。

「私はもっとみじめになりたいのか?」

そう聞かれれば、答えは明白。

「やなこった」

だから、家人の回復については

家人にお任せして、

私は私で

自分ときちんと向かい合いたいと思う。

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細切れ Mamma Mia !

Mamma Mia ! のDVD

時間のとれる時に、

少しずつ観ている。

映画館で2回観て、

話の展開が分かっているし、

テレビでCMが入る映画の観方に慣れているせいか、

ここで一区切り、

というところで

「またのお楽しみ」とスイッチを切る。

映画館で観るのとは違う楽しみ方。

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寝息

何か、聞こえる、

と思ったら、

ネコの寝息。

ときどき、夢を見るのか

寝ていて、鳴いたりする。

ネコって、どんな夢を見るんだろう。

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