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2009年6月

たまには懐メロ

コネタマ参加中: 「雨」と聞いて思い浮かぶのはどんな曲?

「雨」といえば、ジリオラ・チンクエッティ

「La pioggia」

洋物に疎い私が、初めてまじめに歌詞を聞き取ろうとした

日本語ではない歌。

でも、今、調べてみると、

かなりいい加減な聞き取りだったとことがわかる。

耳悪いのね、私。

「雨」、と言って次に思い出すのは

丸山圭子『どうぞこのまま』

「曇りガラスを伝わる

 雨のしずく数えながら」

という歌詞に

なんだかアンニュイな雰囲気を感じていた

その昔。

それから、もうひとつは

やっぱりカーペンターズの

『Rainy days and Mondays』

いまや、Rainy days and Mondays だけでなく、

Everyday gets me down. 状態であるけれど。

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ご満悦

今日、家人は、久しぶりに会った仕事関係者に

「前より健康そうになった」

と言われたのだそうだ。

なんだか嬉しそうである。

ふ~ん。

それは、自分の適量飲酒は間違っていない、

ということを遠まわしに言っているのか?

ふ~ん

私も一瞬、

こういうことで毎日が問題なく過ぎればいいような気にもなる。

と同時に、

手ひどく裏切られている気持ちも拭えない。

何にせよ、

あなたの脳の前頭葉の溝は

ますます広く、ますます浅く

なっているんだろうね。

う~ん

でも、正直、今、私はそれどころではない。

自分自身の問題の正体を見極めるのもたいへんだし、

何より、明日の朝7時に、

初めての場所まで車で出かけなければならんのだから。

寝坊したら、どうしよう。

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役割

この前から読んでいた

クラウディア・フラック著

『子どもを生きればおとなになれる

 <インナーアダルト>の育て方』

(アスク・ヒューマン・ケア)、

やっと読み終えた。

というか、

時間がかかったけれど、

なんとか全部に目を通した、

という感じで、

今後も何度も必要なページを開いて

何度も読み直すことになるんだろう、

と思う。

ザクッと内容を紹介すれば、

過去の痛みの正体を認知し理解して、

それを癒し、

自分に欠けている力を育て

人間関係を健康なものにしていく方法が

述べられている、

ということになる。

この本には、

ACは子ども時代から家族の中で

生き延びるために

ある役割を演じてきていて

それがいい面もある一方、

ACの人間関係に負の影響も与えている、

とある。

そして、

ACが演じてきた役割として

「責任を負う子」「順応者」「なだめ役」「問題児」

という四つの分類をして

それぞれの役割の強みと弱みを挙げている。

なだめ役」の強みと弱みを読んで、

苦笑いした。

なだめ役の強み

 思いやりがある

 人の気持ちがわかる

 話を聞くのが上手

 人の様子に敏感

 気前がいい

 素敵な笑顔と温かい態度

厚かましい話だが

他の人が私に言ってくれる言葉と

ほぼ同じ (゚ー゚; 

そして、

なだめ役の弱み

 人に世話してもらうのが苦手

 自分の気持ちに目を向けられない

 罪悪感にとらわれやすい

 人の怒りを非常に怖れる

 相手の理不尽な行動に耐えてしまう

これが、自分に当てはまるかどうか

まだ、今一つ自覚がないのだけれど、

この本を読み進めている間、

どうも自分はそういうところがあるようだ、

と思うようになったことばかり。

上記の四つの役割の中で、

あなたの役割はどれか、

と聞かれれば、

確かに、「なだめ役」。

娘が家にいたころは、

娘の愚痴を聞いてなだめ、

家人のボヤキを聞いてなだめ、

最後にネコのわがままを聞いてなでなでし、

やっと布団にたどりつけたものだった。

もういい大人なのに、

母と妹がけんかした時には

私が双方の話を聞いて

なだめるしかないしなぁ。

自分が演じてきた役割に

縛られなくなることが大切、

ということだが、

役割に縛られなくなること、

というのは、

役割の強みまで手放すことではない、

と著者は言う。

いいところはそのままにして

もっとバランスある生き方を学んでいけばいい、

のだそうだ。

できるだろうか。

できるようになりたい。

 

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生活改善

本日、心エコー検査。

結果は、異常なし。

明日、24時間心電図記録のために機材装着予定。

まぁ、ストレスが原因だと思うけれど、

少し夜更かしなのも、いけないかな。

来週は、なんだかやたら忙しく、

朝、早起きできないとまずいから、

生活も朝型にしなくては。

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フランダースの犬

実家へ行った帰り道、
JRの駅のホームで
どこぞの私立の小学生、
3年生くらいの女の子が
座り込んで本を読んでいた。

本といっても
上半分にアニメの絵があり
下に文章が書いてあるタイプ。

何、読んでいるのかな、
と前を通る時
ちらりと見たら、
『フランダースの犬』

あぁ、私もあのくらいの時、
講談社かなんかの
分厚い「世界名作全集」で読んだっけ。

まだ、世の中に
アニメの『フランダースの犬』は
存在してなかった時代。

お日様が顔に当たるのも気にせず、
一心に本を読む女の子の
両頬に涙が流れていた。

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アルコール家族教室2回目

今日は、「アルコール家族教室ミーティング」

2回目の出席。

今日は、「暴力」の話。

家人は、殴りそうになっても

決して私を殴ったことはない。

(軽く蹴られたことはあるけど)

だから、家人んの場合、

「暴力」というのとは結びつかないかも、

と思っていたが、

今日、改めて、説明を聞いていて

つい先日のことを思い出した。

先週の土曜日、

用事があって出かけた。

家人には

帰りは6時頃になると思うと言って出かけたのだが、

用事が早くすんで

電車の乗り継ぎがよく、

5時頃家の駅に着いた。

そういえば、帰るとき電話を入れる、

と言っておいたのだが、

もうここまで帰ってきたらすぐだから、

と思って、そのまま帰宅した。

「ただいま」と玄関のドアを開けて靴を脱いでいると、

いつもは別に様子を見にも来ないのに、

驚いた様子で

家人が玄関をのぞきに来た。

そのまま、家に上がって、

うがいと手洗いをして

居間に行って、ふと机の上をみると

「大五郎」についていたおまけのグラスに

氷と透明な液体が入っている。

自分でも驚くほどフツーに「何飲んでるの?」

と聞いたら、

家人も驚くほどフツーに「焼酎」と答えた。

「ああ、やっぱり」と思ったので、

逆上はしなかったが、

さすがにフツーにはしていられなくて、

「ショックだわ」と言って、

不愉快なので2階に行って

猫と遊んだ。

で、その日、私はそのグラスを片付けなかった。

次の日の晩御飯の時、

家人がグラスを見て、

「何でこれがここにあるんだ。嫌味か?」と言った。

「え、あなたが勝手に使ったから、あなたが片付けるかなと思って」

「いらないんなら、捨てるぞ」

「別に私は使わないから、捨ててもいいよ」

すると、家人は、グラスを手にして立ちあがり、

窓のほうに向かう。

「どこに捨てるの?」

「窓から外に捨ててやる」

「そんなことしたら、割れて危ないじゃない」

「だから、捨てるって言っただろう」

はらほろひれはれ~

「それなら、いいわよ」と私は家人の手からグラスを取り上げた。

「せめて、『洗っていただけませんか』ぐらい

 言ってもらいたいもんだわね」

「洗ってくれ」

「『くれ』じゃなくて、『ください、お願いします』じゃないの」

などという、会話ののち

無言の晩御飯が始まったのだった。

正直、私は、なんだか、

結局相手の思うつぼにはまったような気がして、

不愉快だった。

私の意思に反することを

相手に押し切られた形でしなければならなくなって、

力関係で負けたような気がした。

これは、「暴力」とは言えないかもしれないけれど、

でも、あのままグラスを窓の外に捨てていたら

やはりそれは暴力だったのかもしれない。

グラスを棄てようとした時の

家人の顔つきは

やはり理性のある者には思えなかった。

さて、今日のミーティングには

前回は来ていなかった

断酒会の人が来ていた。

帰りに、参加するよう誘ってくれた。

実は、この前、隣県のアラノンに一回だけ参加してみた。

『愛しすぎる女たち』にアラノンのことが出ていたので、

家人が断酒するかどうかはとりあえず置いておいて、

自分のために、どこかに行ってみたい、と思ったのだ。

県内にもアラノンはあるのだが、

夜だし、遠いし、

隣県の会場のほうがまだ近いのだ。

ただ、諸般の事情で、

その後は行けずにいる。

また、行ってみたいと思っているのだが

来月の下旬まではチャンスがなさそう。

誘ってもらうと、ちょっと行ってみようかな、

と言う気もしてくる。

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誘惑

ときどき、無性にカマンベールチーズが食べたくなる。

表面のちょっとした抵抗感と

中のムニュトロッとした感じや、

香りがふと思い出される。

同時に、ああ、おいしいカマンベールチーズ食べて

渋~い赤ワイン飲みたいなぁ、

と思う。

もちろん、おいしいのは一瞬だけで、

あとは体が熱くなって汗かくだけなのは

わかっているのだが、

その一瞬の感覚の記憶が

誘惑してくる。

肝心のアルコール依存症患者は

隠れ飲酒しているのだから、

別に私が飲んだっていいようなものだ。

向こうが飲む口実にされると癪だから、

ガマンガマン。

そういえば、

私のほうは、今年一月の家人の入院以来、

律儀にずっとアルコール飲んでいないので、

健康診断の肝臓関係、

ものすごくまっとうな数字だった。

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『恋に落ちて』

まじめに考えたら、困った話だ。

既婚者同士が恋に落ち、

まぁ、結局それぞれ結婚生活がご破算になって

最後は二人が結ばれる、

というわけだから。

でも、やっぱり、名優二人が出ているだけあって、

見ごたえはあった。

若い、とは言えない二人が、

思春期の若者のように

恋に落ちていく様子は

なんだか微笑ましくもある。

メリル・ストリープのモーリーは、

生まれた娘が

血管に問題があって生後五日で亡くなり、

その後、夫と

なんとなく心が通わない生活をしていて

いちおう、観ている側の同情を引く設定になっているし、

最後にデ・ニーロのフランクが

モーリーを追いかけることで

運命を引き寄せるわけで

微妙に白馬の王子が救いに来てくれる感じになっている。

また、「電車」が舞台、

というのも面白い点かもしれない。

「電車」で、再会し逢瀬を重ね、

車窓から相手の家庭を垣間見る。

また、フランクが、苦しい思いで

モーリーの家を車で見に行く時に

踏切で電車が通過するのを待つのだが、

これが後のシーンの伏線になっている。

つまり、遠くに引っ越す前に一目会いたい、

とフランクから電話をもらったモーリーが、

夫の制止を無視して

雨の中、彼の家へ向かう場面。

モーリーがアクセルを踏み込む。

遮断機が下り始める踏切。

「だめだよ、モーリー!」

それほど、主人公に感情移入していなくても、

さすがにこの場面ではドキドキしてしまった。

踏切を通過する電車、

アクセルをさらに踏み込み、

次の瞬間ブレーキを踏むモーリー。

車は、踏切の手前でスリップしながらも

かろうじて止まる。

通過していく電車。

成就しない恋を象徴する場面。

それにしても、

車が止まった直後のメリル・ストリープがすごい。

ハンドルに覆いかぶさった状態から体を起こしてから、

一瞬、体が震えるのだ。

恋心に駆られて冷静さを失っている中でも

死に直面した恐怖が現れる。

実は、ややスピード狂の私、

一度急ブレーキをかけて

信号手前でスリップして

横向きに止まったことがある。

幸い、車の通行量がなく、

お巡りさんもいなかったので、

事なきを得たのだが、

あれは相当怖かった。(もうしません)

なので、あの、ブルっという感じ、

すごくよくわかる。

で、メリル・ストリープだけれど、

そのブルっと震えた後で、

もはやフランクに会うことはかなわないことを

理解していてく表情になる。

しょせん映画の中のこと、と思いつつも、

実際の人生を感じさせる。

それにしても、昔のメリル・ストリープって

ちょっと病んだ感じの女の人がぴったり。

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来た!

来た!
昨夜、
アマゾンから
発送の連絡メールがあった。

アメリカはまだ6月22日。

メリル・ストリープの誕生日に
『マンマ・ミーア』のDVDが届いたことになる、
と他愛のないことで
うれしくなる。

ケースの花の写真はキラキラの印刷になってる。

今日は観る時間がないけど
ニマニマしてしまう。

と思っていたが、

夜の仕事から戻ってから、

特典映像だけ見てみる。

NGシーンとかは、

さんざんYouTubeで見ていたけれど・・・

きゃあ。

Sing Along「一緒に歌おう」と

歌のシーンだけ見ることができる。

歌詞の字幕スーパー付き。

サウンドトラックと一緒に歌うより楽しいぞ。

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6月22日

今日もあれこれあったけど、

なにはともあれ、6月22日。

時差もあるけど、

アメリカだって6月22日。

メリル・ストリープの誕生日!

あさってには、『マンマ・ミーア!』の

DVDが来る、はず。

今日は、『恋に落ちて』を観た。

前に買った『STREEP』という本によれば、

出演映画の興行成績が低迷し、

また女性ファンも失いつつあった

ロバート・デ・ニーロの人気回復のために

企画された映画とのこと。

ま、たまには、ストレートな恋愛ものもいいか。

メリル・ストリープ、還暦おめでとう!

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遊ぶ

遊ぶ、ということが苦手だ。

いや、別に遊んだことがないわけではない。

むしろ、勤勉というよりは、

どちらかというと、

どうすれば楽に進められるか、

と手を抜くことばかり考えている人間だ。

にもかかわらず、

特に用もないのに

ショッピングセンターで

ぶらぶらしていたりすると、

「こんなことしていいのかな?」と

不安になってしまう。

一方で、

友人と約束して

どこかでテキトーに遊ぶ、

などということは

ほとんどしたことがない。

実は、ごくごく小さい時期を除いて、

子どもの時から、

人と遊ぶ、ということに

罪悪感があるのだ。

今、

『子どもを生きればおとなになれる

  <インナーアダルト>の育て方』

という本を読んでいる。

いわゆる、アダルトチルドレンが

自分を育て直すためのガイドブックのようなものである。

その中に、

「子どもが学ぶ必要のある行動やスキル」

というのがあり、

「助けを求める」とか「適切に感情を表現する」

などの例が挙げられているのだが、

「遊ぶ」も

その一つに挙げられている。

これは、おそらく、

経済的な基盤が弱かったり、

親が自分の役割を果たさなくて

子どもなのに働かなければならないような状況で

育った子どものことを念頭に置いているのだろう、

と思う。

私の場合は、

家がとても家計が大変で

私も働かなければならなかった、

などということは全然ない。

しかし、

なぜか未だに釈然としない理由で、

隣の学区に越境入学させられ、

小学生から電車通学の毎日。

人よりいい成績を取ってこそ認められる、

という母の価値観のもとで育った私は、

学校か塾で遊ぶしかなく、

そうではなくて独立して「遊ぶ」

ということはなんだかとてもいけないこと

のように思ってしまっていたのだ。

それが今でも尾を引いているようで、

仕事も休みで、

家事もとりあえずすんでいて、

ただ漠然と出かける、

というのがどうにもいけないこと

のような気がしてしまう。

「映画を観る」とか

「水中ウォーキングする」とか

「なんぞの研修会に参加する」とか、

はっきり目標があることなら、

「自分のために時間を使う」

というふうに考えられるのだけれど、

買い物ついでに、ちょっと他のお店ものぞいてみたりしていると

「こんなことしてていいのかしら」と

気もそぞろになってしまう

ある種の貧乏症かも。

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マタタビ

うちのネコは、

餌にちょっぴり振りかけてもらえるカツ節が大好きである。

さっきも、

追加のカツ節よこせ、

と30分も音を立てているので

根負けした。

もちろん、マタタビも好きだ。

でも、この前、大量に爪とぎに振りかけておいたのに

ちっともなめない。

考えてみると、

マタタビでにゃごにゃご喜んではいるものの、

マタタビ、もっとちょーだい、

とおねだりされたことはない。

マタタビ依存症ってないのかも。

動物は依存症にならないとしたら、

依存症になる、

というのは、

人間の証なのか?

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今日の天気はくもり

さぁ、今日も頑張っていこう!

頑張れ、私。

頑張るのか?私。

頑張れるのかな、私。

頑張れないかも。

まぁ、テキトーでいいさ。

と言いつつ、

心のどこかでは、まだ、

やっぱり頑張らなきゃ、

と思っている私。

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気づき

「何があってもめげない私」

疲れてきたかも

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息が浅い

友人が時々、指摘してくれる。

「あなた、今日は息が浅いわよ。」

今日は、自分でもそう思う。

息が浅くて、少し苦しいくらい。

一生懸命、深呼吸してみるのだけれど、

なんだかうまくいかない。

車の中では、

『マンマ・ミーア!』のサントラに合わせて歌っているので、

いやでも腹式呼吸になるのだが、

車を降りてしまうと、ダメ。

さっきから、なんども、

バランスボールの上に腹ばいで乗って、

強制的に腹式呼吸をしている。

おまけに、先日の健康診断の結果。

メタボ体型から脱出できたのはいいが、

胃は要再検査。

心電図も「異常」ときた。

東京に引っ越ししてしまったけれど、

このあたりの医者に詳しい友人に電話して、

「心臓はどこの医者がいい?」と聞いてみる。

彼女のご主人がかかっていたのが

とてもいい医者だったとのことだが

残念ながらもう引退してしまったらしい。

まぁ、いずれにしても

ここいらの医者は

みんな大学病院関係者だから、

どこでもいいか。

世間話の後で、医者のことを聞いたのだが、

「やっぱり。

今日も息が浅いわよ。

ていうか、声も小さくて、

壺の中から聞こえてくるみたいで、

最初、誰だか分らなかったわ。」

と言われてしまった。

ん~。

そうなんです。

今日は/今日も、元気がないんです。

自分の過去を振り返る作業に取り掛かろうとしているからか、

今日、家人が仕事休んだからか、

よくわからないのですが。

たぶん、両方だと思うけれど。

息を吸っても吸っても、

胸が苦しい気がする。

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実家の隣に、新しく犬が来たという。

確か、今年になってから、

飼っていた犬が天寿を全うしたと聞いていた。

新しい犬を飼いたい気持ちもわかる。

今まで犬と暮らしてきて

犬のいない生活もさびしいだろう。

しかし、実家の隣にお住まいなのは、

母より年上、90近いご老人である。

微妙。

ご老人がいなくなったら、

犬はどうなるのだろう。

離れて暮らしている

息子さん一家に向かい入れてもらえるのだろうか。

余計なお世話に違いないが、

なんだか気になる。

それにしても、

年を取るってたいへんだ。

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『マンマ・ミーア!』と『グラン・トリノ』

昨日、電話をくれた友人。

彼女も『グラン・トリノ』に涙し、

ドライブの道連れは

『マンマ・ミーア!』のサウンドトラックなのだそうだ。

私たちは、あるNPOに関わるなかで知り合ったのだが、

結果として、そのNPOを立ち上げた「困ったさん」に

振り回されたらしい、

ということを噛みしめている似た者同士である。

前のように頑張りがきかず、

疲れやすい。

『マンマ・ミーヤ!』に元気をもらって

生き延びているところが同じだ、と

お互いに笑ってしまった。

とりあえず、「困ったさん」とは訣別することにした。

「困ったさん」は人を巻き込むのがうまく、

自分が人をコーディネートする才がある、

と解釈しているようだが、

実は違う。

確かに一時的に、

いろいろな力のある人が

「困ったさん」のあげた狼煙に集まる。

しかし、実は、他の人への配慮に欠けた

「困ったさん」のやり方に

みな腹を立て、離れていくのだ。

そして、最後に残ったのが、

私たち二人。

友人は気が付いていない様子だが、

要するに、私たちは

「共依存」しちゃうタイプなのだろう。

「困ったさん」、切れると非常に扱いにくいけれど、

まぁ、アサーティブに頑張ってみよう。

早く、すっきりしたい。

22日は、メリル・ストリープの誕生日。

『マンマ・ミーヤ!』のDVDの日本での発売予定日は

6月24日。

もちろん、友人も私も予約済み。

今週末の「困ったさん」との対決、無事済ませて、

幸せな気分でDVD手にしよう!

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アナログな楽しみ

この前読んだ『多読術』に

読書する時には

辞書はもちろん歳時記や地図も

元に置くよう勧めてあった。

え~っ!とちょっと引いたが

歳時記ぐらい持っていてもいいかもと思い、

普通の辞書ぐらいの大きさの歳時記を買った。

ぱらぱらとめくって、

目に止まったものを読んでは

「ふ~ん」と遊んでいる。

今日、昼間、

がゴロゴロ鳴っている最中に、

久しぶりにある友人が電話をくれた。

友人と話をしながら、

歳時記をぱらぱらしていたところ、

ちょうど「稲妻」ということばが

目に入った。

なんと、秋の季語だった。

「雷」や「雷鳴」なら夏の季語。

降り出した大粒の雨は一瞬雹になったが、

「雹」も夏。

歳時記の中には

いろいろな情景が潜んでいる感じがして楽しい。

俳句は作りそうにないけれど。

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AC

AC、と言っても

テレビに出てくる「公共広告機構」ではない。

Adult Childrenのことである。

アルコール依存症関係の本を読んでいると出てくるが、

Wikipediaによれば、

アメリカの研究者により、

単に

アルコール依存症の親のもとで育った子どもだけでなく、

機能不全な家庭で育つ子どもが

特徴的な行動、思考、認知、を持つ

と指摘されているそうである。

つまり、、

「Adult Children of Dysfunctional Family

(子供の成育に悪影響を与える親のもとで育ち、

 成長してもなお精神的影響を受けつづける人々)」

というのが、

現在もっとも広く支持されている

アダルトチルドレンの定義なのだそうだ。

これは、参りました。

私の父は、子どもの時に

母親を病気で亡くしている。

祖父は、その後、2回結婚してるのだが、

父が、母親の愛に飢えて育ったのは

確かなようである。

そのことを

私の母、ときどき

「普通の家庭で育っていないから

 (父は)ひねくれている」

などと言って

私たちを微妙な気持ちにさせていた。

その母は、

5人きょうだいの4番目。

真中が男で、あとは女。

実は、もうひとり、

母の兄の前にも

男の子が生まれていたのだが、

この子は1歳にもならないうちに

亡くなってしまったそうである。

それで、次に生まれた、

母の兄にあたる人が

とても優しい気性だったこともあり、

母が生まれてくる前には

「元気な男の子」が期待されていたのだそうだ。

しかし、

生まれてきた赤ん坊は

「元気な女の子」。

母は、よく

「お前が男の子だったらなぁ」と言われていたそうだ。

つまり、

ありのままの母は肯定されずに

成長してきているのだ。

父も母も

まさにアダルトチルドレン。

そう考えると

あれやこれやの不条理が

やけにあっさり意味が通る。

実を言うと、

母の癇癪が

実は母が成長できていない証しだということは、

私もいつのころからか

子ども心に理解していて、

それは承知で暮らしていた。

父に対しても、

もう少し、いざと言うとき守ってくれる、

という確信が持てずにいた。

そうだ、

母だけじゃなかったんだ。

両親揃って

アダルトチルドレンだったんだ。

ああ。

思い出した。

子どもの頃、

ほっとできるのは

布団の中だけだ、

と思っていたこと。

家は決して、

安心していていい場所ではない、

と感じていたこと。

なんだか、

胸が苦しくなってきたなぁ。

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リューマチ患者

昨夜、もう寝ていると思っていた家人が起き出して、

自室に籠っていた。

ひょっとして日々の1合では足りなくなって

また飲んでいるのかも、

という気持ちがわいてきて、

胸が少し苦しくなる。

2階にあがると、

家人の部屋の扉は少し開いている。

ちょっとハンパな開き方:

見るなと言っているような、

自分はここにいるぞ!

と主張しているような。

どうしたものかと思ったが

「まだ起きていたの?」

と声をかけて中をのぞく。

すると、青黒いといった顔した家人が少し辛そうに、

壁にもたれて目をつぶっていた。

どうもリューマチの薬が効かず

左腕の痛みが治まらないらしい。

陽気のせいもあるのだろう、

私も膝が鈍く痛い。

とはいえ、私に何ができるわけでもないので、

「お大事にね」と言って風呂に入った。

痛みから逃れようとして、

飲酒量が増えるのでは?

と疑心暗鬼な自分が情けなくもある。

私が風呂から出て、

DSの『眼力』で遊んでいた時も

家人は自室にいて痛みを凌いでいたようである。

私が布団に入ると

しばらくして自分の布団に戻ってきた。

いつも以上にアルコールの匂いがしないか気になったが、

そのうち、

家人のうめき声のようなイビキを聞きながら、

私も眠りに落ちた。

父親からは大酒飲みの習慣、

母親からはリューマチの体質を引き継いだとは、

終わりなき闘いに満ちた人生かも。

本人がそれを受け入れきれるのか、

私にはわからない。

しかし、私にはそれはどうすることもできない。

今は、私自身が自分自身と

向かい合わなきゃいけない時のようだから、

家人を気遣わないつもりはないけれど、

自分の立て直しのほう優先順位が高い。

とりあえず、見捨てはしないから、

そっちはそっちで頑張ってくれたまえ。

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振り出し以前?

昨日は、家人の精神科の受診日。

「アル症」と取り組むのが本人の問題なら、

私も一緒に行く必要があるのか、

疑問もわいているのだが、

これについての質問は

次回までペンディングにすることにする。

医者に家人が申告したところによれば

相変わらず

毎日1合焼酎を飲んでいるらしい。

先日、

体の痛みはやはり「リューマチ」だと診断されている。

「やはり」というのは、

義母は家人を出産した時に

リューマチになったからだ。

痛そうにしている時の手の形が義母とそっくり。

医者は、

「リューマチのお薬も飲んだいることだから、

 (酒は)やめましょう。」と言うが、

ほんとうに説得する気があるのか、

やや疑わしくなる雰囲気である。

私の医者は、

「手ごわいと見れば、

 そういう風に説得していく方法もあります。」

と言っていたが・・・

4月にこの先生に代ったのだが、

気のせいか月を追うごとに

待っている患者の数が少なくなったように感じる。

みな前任者の先生を追って

隣の大学病院に変わってしまったのでは

と勘繰ったりして。

しかし、家人は、そんなこと気にしていない。

そりゃ、「減らしましょう。」

言ってくれた人のほうがいいのであろう。

おばか面して、飲み続けている。

というか、

飲んでおばか面になっているのに気が付いていない。

ん~、となるとこのブログのタイトル

少し変かも。

本人がまだ心底から

断酒する気がないわけだから

まだ「断酒スゴロク」の

振り出しにも

コマを置いてないことになる。

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『多読術』

ちくまプリマー新書

著者の松岡正剛という人について

浅薄な私は知らなかった。

この本を読んで知ったのだが、

『工作舎』を作った人で、

『千夜千冊』というWebサイトもあるとのこと。

子どもの頃は、一応読書好きだった私。

しかし、結婚して引っ越してから

電車に乗らない生活になったこともあり、

読書量がものすごく減った。

自分の人生の残り時間を考えると

あまりに読み残している本が多いような気がして

今年になってから奮起、

生活の中に読書の時間を確保するように心がけている。

大枚叩いてフォトリーディングのも参加。

やり方は、本で理解していたのと

それほど違わなかったけれど、

頭ではわかっても

どこか自分にぴったりこなかった。

M.J.アドラー/C.V.ドーレン『本を読む本』も

わかるけどすっきりしない感を抱いていた。

そんな時、新宿の三省堂で

平積みになっている

この本を見つけた。

高校のクラス会に行く前に

少し時間があったので

寄り道したのだ。

我が家のそばの大型書店とは

平積みになっている本の顔ぶれが

ちょっと違った。

多読ね。

ビジネス書を「速読する」というウリでなく、

今度は「多読」か、

とくらいに思ったのだけれど、

パラ見して、著者(正確にいえば「話者」)の読書体験もあったし、

「平積みの本は買え」というアドバイスも思い出したので

とりあえず買った。

買ってよかった。

私がこれまで読んだ読書関係の本では

読み手が書き手の枠組みを掴んで

自分のものとして再構築するための「方法」が

述べられていた印象なのと

全然ちがう。

この人の話には

 読む 書く、

に加え

 編集

という視点が入っているのだ。

それも分野を特定せずに

文系も理系も何でもかんでも読んでいる、

というところがすごい。

編集者だからこその発想。

ビジネス書から情報をどう取るか、

というのでなく

知的行為として

本とどういう関係を築いていくか、

という話だったのも

心地よかった。

しかも、その出発点は

『ノンちゃん雲にのる』だというから

なんだかうれしい。

買った時は、

読み終えたら古本屋行きかな、

と思っていたけれど、

家人にも勧めてしまった。

それにつけても、

フォトリーディングにしろ、

『本を読む本』にしろ、

この本の著者、セイゴオさんにしろ、

真剣に本に取り組む人たちがいるのだなぁ、

と思う。

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「痛い」って言う

中学生の時だったか、

高校生の時だったか定かでないのだが、

「痛い!」というのを

英語では"Ouch !"というと知った。

反射的にそういう言葉が出るのが

とても不思議で、

こけたり、手をぶつけたりした時、

意識的に「Ouch !」と言うようにしていたら、

いつのまにか、Ouch ! が口をついて出るようになった。

でも、痛みの程度が強い時は、やっぱり

「いってぇ」となる。

ところで、心が痛い時、私はなんて言っていたんだろう、

と、昨日から考えている。

なんだか、何も言わない気がする。

私を傷つけたできごとについて考えるより、

そのことで現実に起こる問題に

いかにうまく対処するか、

ということを優先するばかりで、

痛みを感じたことを

ストレートに表現したことないかも、

という気がしてきた。

私の中に、

たくさん「痛い」が封じ込められているのか?

痛い時には、「痛い!」と言ってみよう、

と思う。

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『やめたくてもやめられない 依存症の時代』

この前、久しぶりに図書館に行ったとき、

タイトルの一部、『やめたくてもやめられない』

という文字が見え、思わず手に取った。

いつぞやの家人の言葉を思い出したのだ。

「(飲酒を)やめたいけれど、

やめられなんいだ。」

よくよくみると、「依存症の時代」という言葉がついていて、

内容も薬物依存のものだった。

しかし、依存は依存だから、と思って借りてきた。

今日、『愛しすぎる女たち』を読破した勢いで、

こちらも読む。

こちらは、新書で字もあまり詰まっていないし、

いわゆる、いまどきの新書なので

するすると読めてしまった。

医者が安全と思って処方している薬が

患者の依存状態を作り出しうる、

という内容。

私が飲んでいる、ルボックスも要注意のよう。

しかし、そうした情報より、

私に残ったのは、

今の時代は「あきらめる」ということが難しくなっている時代だ、

という指摘。

ふと、父が見せてくれた、擦り減ったクラッチ板を思い出す。

父は、ただ、「クラッチ板がこんなに擦り減った」ということを

見せたかっただけなんだと思う。

だが、私からすれば、

きちんと整備に出していた車のクラッチ板が

擦り減ってしまうなんて、どれだけ半クラしているのか、

と、ギョッとした。

その時、父は80歳を超えていたから、

ほんとうは、もう車の運転はやめてほしかったのだ。

父は、その次の免許更新のときにやめる、

など言って、まだ運転する気があったのだ。

実際には、その年に亡くなったので、

クラッチ板ご披露後には運転はしていなかったようだが、

自分だったら、いつ運転はもうやめよう、と思いきれるのか、

と考えさせられた。

母も、もともと年より若く見えるタイプなのだが、

白髪を染め続けている。

それはまるで、

自分の「老い」を受け入れるのを

拒否し続けているようでもある。

私は?

自分の「老い」とちゃんと向かい合える?

またしても考えさせられる。

「夢は思い続けていればかなう」というメッセージがある。

それは、言いかえれば、

「あなたの夢がかなわないのは、

 あなたが思い続けなかったからだ」

ということになる。

でも、どんなに思い続けたって、

こちらの思いでは

アル症は改心しない。

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今日の図工

梳いた猫の毛で
遊んでみた。

ネズミにしたかったのだが
私の技術では、ムリ。
本体の方は
腎臓は小康状態を保っているものの
足腰が弱ったのか
外出はおろか
1階にも降りて来なくなった。

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今日も眠い

今日は実家に行く。

道中の電車で本を読むつもりが、

やっぱり寝ている時間のほうが長かった。

母は、

私と置時計を買いに行くのを楽しみにして

待ち構えており、

さっそく歩いて20分ほどのホームセンターに向かう。

私は、膝の調子が悪く、

整形の医者には「あんまり歩くな」と言われているのだが、

仕方ない。

年寄りの歩くペースがちょうどよかったのか、

今のところ、膝は無事の模様。

電波時計の置時計、

大きさがちょうどいい、と母は喜んでいた。

私は、電波時計が時刻を合わせるときに

針が勝手にグググと動くのを見て

喜んでいた。

で、帰りの電車の中で、

『愛しすぎる女たち』を少し読む。

すると、次のような一節があった。

「不幸な男、不健康な男、手に負えない男を

 完璧な伴侶に変えるという発想が、

 多くの女の心をくずぐるのは

 なぜだろうか?

 この考えがすたれないのはどうしてか?」

(中略)

「愛しすぎる女がそんなタイプの男を選ぶのは、

 もっとも身近にいる人を管理したいという

 やむにやまれぬ欲求からである。」

(中略)

「問題を抱えた家庭では、

 必ず家族が一致協力して

 現実を「否認」する。

 問題がどんなに深刻でも、

 「否認」が働いているかぎり

 家庭は機能する。」

(中略)

「不安な状況に立たされている人は誰でも、

 少しでも状況を管理できたらと願う。

 この願望は自然なものだが、

 苦悩に満ちた不健康な家庭に育つと

 それが異常に大きくなる。」

(中略)

「不幸な生い立ちの女や、

 ストレスの多い男性と関係のある女が、

 相手の男を助けようと努力する時、

 まずは自分の中に潜む

 管理したい欲求を疑うべきである。」

う~~~む

私も、家人を管理したいのだろうか?

え~~!?

そんな、めんどくさいこと、

私がしたいと思っているのか?

結婚して間もない頃、

家人の食事、3食、全部自分が作っている、

という事実に、

生殺与奪を握っているみたいで

いやだなぁ、と思った私が?

昨日、出勤に仕向けたことも、

「管理」なのか?

ん~~、わからん。

わからんけれど、

とりあえず、本は読み進めるか。

ふと、精神科(私の)の医者の言葉を思い出す。

「あなたは、ご主人のアルコール依存の問題について

 すぐに蓋をしてしまうところがある。」

そうかもしれぬが・・・

たぶん、すぐに蓋をしてしまうのは、

家人の問題だけではない。

今まで、しんどいことについて

ずっとそうしてきたのでは、

というのは、

うすうす自覚している。

だけど、私、

ずっとうまく、やれてきていたんじゃないでしょうか?

でも、やっぱり、それではだめだから、

しんどくなったんでしょうか?

そういえば、医者に、

ここのところ、夜1時を回っても、

なかなか布団に入る気になれない話もした。

「入院中は全然かかなかったいびきをかいているので、

 やはり、飲んだんだとわかるんです。

 (実際には)薬を飲むから、すぐに寝つけるけれど、

 でも、そのいびきを聞くのが

 とても嫌なんです。」

そう言ったら、医者は

「そう、嫌なのね。」と言った。

あ、あの先生が

私の言葉を繰り返したの、

初めてだsign03

もう3年も通っているのに。

「繰り返し技法」とか言うらしいが。

ひょっとして、彼女は、

やっと私が自分の気持ちを言った、

と感じたから繰り返したんだろうか?

「そう、嫌なのね。」と言った時の医者が

どことなくうれしそうに見えたのは

気のせいか?

ん~~、わからん think

と悩んでいたら

また電車の座席で眠りこけ、

手にしていた本を落とした。

今日も眠いsleepy

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眠い

昨夜はなんだかとても眠かった。

いつもより早く入浴し、半分寝ながら髪を乾かして、

気がついたら、床の上で寝ていた。

導眠剤、今夜はいらないかも、

と思いながら、やはり飲んで寝た。

で、一時間ほど寝坊した。

家人も寝坊であった。

これは、たいへん、と寝ぼけた頭で

朝の仕事の手順を考えていると、

家人が9時になったら職場に電話をする、という。

庶務課長に「病院に行く」と言う、というのだ。

「で、行かない。」とにやにやしている。

ついに再発か、と思う。

この一月に、離脱症状でコケて入院する前には、

朝、調子が悪くて、

「風邪で調子が悪い」とか「病院に行く」とか言って

休むことがあったのだ。

「電話してくれ。」と言われることもあったが、

40度の熱が出ていたって、

社会人なら自分で電話せい、

と取り合わなかったから、

いつも自分で電話していた。

ここのところは、

午前に病院の予約がある時は、

そのむね、前日に伝えて

ちゃんと出勤しておったのに。

眠くて機嫌が悪い私は

「今日は、午前中にいろいろやりたいことがあるのに、

 家にいられたら邪魔だ。」と言ってしまう。

ついでに、

「酒を飲みすぎるから、こんなことになるんだ。」

と言うと、家人はヒステリックに反応して

「酒なんかじゃない」と言った意味のことを言う。

「飲んでるくせに、何を言うか。

 隠れて飲んでいたって、匂いがするから

 飲んでいることぐらい知っている!」

眠いので、私も自制心なし。

ふと、家人の再就職のために、

心を砕いてくれた庶務課長さんの顔や

家人の同僚の顔が浮かぶ。

あの人たちは、

家人がきっとよくなることを

信じていてくれるというのに・・・

なんだこいつは。

あの人たちを裏切るのか。

「再雇用になってまだ2カ月だって言うのに、

 もう怠け者病か。

 庶務課長だって、かばいきれないよ。

 いつから、そんないい加減な人間になったんだ。」

捨て台詞を残して、

とにかく朝の支度をしに階下に降りた。

しばらくすると、

家人が動き出す気配。

嫌味を言われながら家にいるよりましだと思ったのか、

「朝ごはんはいらない。」と

仏頂面で宣言して出かけた。

そのくせ、弁当はしっかり持って行ったので

笑いをこらえるのに苦労した。

やれやれと、コーヒーを飲み

10分だけ本を読んでから、

懸案事項に取り掛かろうとしたのだが、

気がつくと、本に突っ伏して寝ていた。

眠いsleepy

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『スラムドッグ$ミリオネア』@シネコン

まったく「シネコン」というのは、映画より金らしい。

家の近所のシネコンは、

私の住んでいる県で唯一

『スラムドッグ$ミリオネア』を上映していたはずなのに、

気がついたら、『グラン・トリノ』とともに消えていた。

アカデミー賞最多受賞でも、

トム・ハンクスには負けるのか。

まぁ、ここの客層向きではないのかもしれないのは

認める。

少数派としては、仕方ないので、

隣の県のシネコンに出かけた。

この前、『グラン・トリノ』観たばかり、

しなくてはいけないこともあるのだけれど、

来週の水曜は、

家人の精神科受診に一緒に行くから出かけられないし、

さ来週には、きっとそのシネコンからも消えてしまうだろうから、

と、自分に言い訳しつつ、

午前中に用事を済ませて電車に乗る。

鑑賞料金が安くなっても、電車賃でかえって高くつく。

それでも、スクリーンで観ておきたかった。

さすが、シネコン、今日は女性がたくさん。

上映スケジュールから察するに、

若い女性やカップルは『余命一か月の花嫁』、

あんまり若くない女性や

アラ還夫婦と思しきカップルは

『スラムドッグ$ミリオネア』鑑賞のようである。

うらぶれた映画館と違って、

本編の前にいろいろ上映。

携帯電話を使うな、とか、禁煙の注意のほか、

おしゃべりするな、とか

前の椅子を蹴ったり、

前の椅子に足を乗せるな、とか、

そんなことまで注意する時代なのかと

気づかされる。

さて、いよいよ本編上映。

Slamdogである主人公が、どうして

インド版『Who Wants to Be a Millionaire?』

(日本では、みのもんたの司会で有名あのクイズ番組)

の質問の答えを知るに至ったかを描くことで、

青年の過酷な半生が語られる。

インドが舞台だけれど、イギリス映画。

インド人が書いた小説が原作とは

いろいろ異なっているらしいが、

とにかく、ハッピーエンドでよかった、よかった。

『闇の子どもたち』と違って、

子どもにそんなことやらせるなんて、

と思うシーンもなかったし。

(現実には、子役の父親が逮捕されたとか

いろいろ大変なようだけれど)

最後に、インド映画風の踊りつき。

そういえば、昔、家族で

『ムトゥ踊るマハラジャ』というの観たっけなぁ。

私は、けっこうあの手の踊りが好きである。

そういえば、沖縄はともかく、

日本人はあんなふうに感情を表すために

踊ったりすること、あまりないような気がする。

踊れば、気が晴れるだろうか?

そうそう、

そのシネコンの椅子は座り心地がいいと

友人が言っていたが、

確かに映画に集中できる椅子だった。

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母と娘の会話-2

一人暮らしをしている母に

毎晩、電話をしている。

今日の電話では

老人向けサービスの食事を試してみた話と

置時計が止まってしまった話をしていた。

「家の時計が全部止まっちゃったのよ。」

というものだから、

実家の時が止まってしまったような気がして

すごくいやな感じがした。

しかし、よくよく話を聞いてみると、

掛け時計など4個の時計は

ちゃんと動いているらしい。

止まってしまったのは、

置時計ふたつ。

電池を交換しても動かなかったらしい。

さらに、バッグに入れている腕時計が見つからなかったとか。

私が思うに、

時計が止まってしまってパニクッた母が

落ち着いて探し物をできなかったのだろう。

なにしろ、母のバッグの中は迷宮だから。

家の中で動いている時計のほうが多いのだから、

なにもそんなに狼狽しなくても、

とも思うのだが、

もともと柔軟性のない人が年を取ったのだから、

おおごとに考えても仕方ないのだろう。

母は、明日、病院に行くついでに

時計を買ってくればいいことに気がついて、

それをとても心待ちにしているとのこと。

新しい時計を買うのは、

新たな時間の始まりの到来と思えば、

それはそれでよしである。

ただ、

いらなくなった時計は物置に放り込まずに

ちゃんと処分していただきたい、

と、娘は密かに願うのであった。

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母と娘の会話-1

もう6月だというのにちょっと寒い日が続いたりしたせいか

なんだか元気が出ない。

朝の抗ウツ剤を飲み忘れたかと思うほど。

用事があれば、ちゃんと出かけて行くものの、

帰ってくると気分はぐったり。

次の用件で出かけなければならなくなるまで

ゴロゴロしている。

娘も新生活が忙しいらしく、

メールの返信もめんどくさがっていたが、

今日は、大した用事でもないのに電話してきた。

用件が些細なことなのに電話してくるのは

彼女が疲れている証拠。

私も疲れているので

やや上の空に話を聞くが、

こういう電話の時は、

どうもそのくらいでちょうどいいらしい。

あんまり、一生懸命聞いて反応したり、

自分の話を聞いてもらおうとしたりすると

嫌がられて、

お互い気分を悪くする。

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ツレがアル症になりまして

『ツレがうつになりまして』がドラマになった。

藤原紀香が主人公とは、

マンガのイメージとちょっと違うけど、

世の中での

ウツ病への理解を得るためにはいいのかも。

でも、まだ

『ツレがアル症になりまして』なんてドラマは

作られないだろうな。

家人がアルコール依存症だ、

という話をすると、

知り合いの反応は大きくわけて

二つ。

ひとつは、

「え・・・(それはたいへん)」とか

「え・・・(なんて言ったらいいんだろう)」

といったもの。

もうひとつは、スルー。

私の発言に対しての反応はなく、

会話が途中で断ち切られ、

別の話題に移行してしまう。

でも、あることに気がついた。

スルーする人たちもまた、怪しいのだ。

というわけで、こんなスポット番組を考えてみた。

「 アルコール依存症伴侶のみなさん、こんばんは。

 今日の『依存症・豆知識』の時間です。

 

 みなさんのお知り合いのお酒のみの中年男性が

 アルコール依存症かどうか判断する

 お手軽な方法がありますので

 今日は、それをご紹介します。

 それは、

 みなさんのパートナーがアルコール依存症であることを

 ざっくばらんに打ち明けることです。

 そのとき、相手が、その話を聞いて

 あなたにどう声を掛けていいか迷うようでしたら、

 その人はアルコール依存症ではないと考えていいでしょう。

 しかし、

 相手の目が泳ぎ、

 一瞬にして別の話題に移行するようでしたら、

 相手の人がアルコール依存症であるのは

 間違いないでしょう。

 ただし、相手が、あなたの親戚などであった場合には、

 これだけでは判断できません。

 互いに知り合いではあるが、

 利害関係の薄い相手である場合に

 あてはまると考えられます。

 もし、心当たりの人がいたら、

 ぜひ一度お試しください。

 では、今日の、『依存症・豆知識』を終わります」

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